マレー鉄道と温泉の旅

1999.9.12-17

マレーシア クアラルンプール 〜 タイ ハジャイ 〜 ラノーン
            〜 プーケット 〜 クアラルンプール

Screenshot

1日目
旅支度をし、午前中にクアラルンプールセントラル駅に向かう。

駅でハジャイまでの列車を確認すると 21:15発の寝台急行が、最も早く着くことがわかり、そのまま切符を購入。

あまりにも時間がありすぎるので、インド人街に行き、換金率の良い両替商でマレーシアリンギッからタイバーツに両替を済ます。一旦、家に戻り近所の映画館に「The Mask of ZORRO」を見に行く。

夜になって再出発。

列車はほぼ予定通り出発し、寝台で横になる。いよいよ明日の朝はタイに入国だ。

2日目
朝、国境の町「パダンブサール」の駅で列車が停まる。

周りを見ているとみんな列車から降りだした。
どうやら降車客だけではないようなので荷物をまとめて一緒に降りる。

イミグレーションで出入国の手続きを済ませ、再び同じ列車に乗車し、そのままハジャイまで向かう。

降り立ったハジャイの街は、狭いふつうの町だった。話では、ムスリムのマレー人たちが羽目を外しに行く歓楽街と聞いていたのだが。

しばらく街中を歩いて散策。買い物で賑わう普通の田舎町だ。

安宿「King’s Hotel」を見つけ泊まる場所を確保する。
受付を済ませると、「今晩、レディブッキングしないか?友達紹介するから。」と言われたので丁寧にお断りをする。

疲れたのでタイ式マッサージに出かける。古びた部屋にマットレスと枕だけが無造作に並べられた部屋に通され、施術。よく歩いたためか、ふくらはぎを押されるととても痛い。

夕方、せっかくハジャイまできたのだからと思い、タイガールショーを見に行く。
夜の時間には早すぎたようで、ショーが始まる時間まで1時間もあり、店にはまだ客はひとりもいなかった。
センターのよさそうな席に案内され、気合の入ったお客さんになってしまった。

ショーが始まると最初は女性シンガーが歌を披露。
歌っている間、マネージャーのような男性が隣の席に来て、「あのシンガー素敵でしょう。歌が終わったらあなたの席に呼んであげるから、花輪を買って贈ってあげて。」と言われ B500 払う羽目になる。

歌い終わったあとにシンガーがお礼を言いにやってきて、隣の座ってくれた。
話をしながら次のダンスショーを見ていると、シンガーの友人だという踊ったばかりのダンサーもやってきて席についた。なんといい身分だ。

しかし、ハジャイはすごい町だ。昼は物を売って、活気にあふれ、夜は性を売って熱気がある。

ショーの後、シンガーが、「店に B1,000 払って私をブッキングしないか」と言ってくるし、帰りにトックトックに乗り合わせたダンスの衣装をまとった女の子も同じく誘ってきた。

ショーを見て、ビールを飲んで、あげくにシンガーに渡す花輪をB500で買わされたが、それでも全部でB1,100 程度だった。

ハジャイの夜はとても長いが、疲れてホテルに帰って寝る。

3日目
今日は、次の目的 タイの温泉に入ること。

ハジャイからバスでスラートターニーをまわり、温泉のあるラノーンまでいく日程だが、まさに一日がかりだった。

Kings`s Hotelで親切にしてくれた受付の子NOKが、モーニングコールをかけてくれた。

一緒に写真を撮って送ることを約束し、部屋をでたが、ロビーでいくら待っても昨日頼んでおいたバスが来ない。

しょうがなくロビーの女性に昨日契約した店に電話してもらい30分遅れでようやく乗ることができた。しかし、途中でバスを乗り換えされ、ハジャイをでたのは10時だった。

スラートターニーには、ラノーン行きの最終がでるという15時にぎりぎり間にあったが、ラノーン行きのバスは1時間以上遅れてやってきた。

20時過ぎにようやくホットスパのあるホテルに到着。

途中、山道を延々と走り、日は暮れ、雨は降りだし、もやはでてきた。泊まるホテルも決まっていなかったので、多少心細くなってきた。山の中を走っているのに、ふっと外を見ると傘をさして歩いている女性がいてギクッとしたり、もやの中、前方にうごめく物があり、バスが近づいてみると、牛が6頭のそのそ歩いていたりとなかなかの体験。

なんとか宿を確保できたので、夕食をとってさっそくスパにはいる。レンタル水着着用なのに男女で分かれていた。円形の深い浴槽で、あまりきれいではないが、お湯につかるとなかなかいい気持ちだ。深いので、日本のように座って入るのではなく、立ちながらの入浴。
さあ、明日はどうしよう。

4日目
マレー鉄道に乗り、国境を超える。タイの温泉に入る。この2つの目的を果たしたので、今日は特に何も予定がない。

とりあえず、海岸に向かうと船着き場があり、買い物のおばさんたちで賑わっていた。

船でミャンマーに渡る人たちで賑わっていたようだ。どうやら普通に往来しているようなので、ミャンマーにいってみたいと思う。

買い物客に紛れて、ミャンマーの国境の町コータウンにボートで渡ろうとするが、イミグレに行くように指示された。

実は私のパスポートは、渡航制限があってミャンマーに行けないパスポートだ。
パスポートを見せて係官に説明するが、No problem といわれた。それでも少し心配だったので何度も説明すると、上官のところに連れて行かれた。

上官には、「このパスポートでミャンマーに渡れば帰ってこれなくなるぞ」と言われ、断念。
みんな深く考えないで、適当に返事するから自己責任で気をつけていないととんでもないことになる。危なかった。

仕方なく、ボートのおじさんに頼み、ミャンマーに上陸しないで、賑わっている海岸線をボートでまわってもらう。

プーケットに向かうバスを見つけたので、プーケットから国際線でクアラルンプールに戻ることにし、バスのチケット買って乗車。

なんとバスは満員で、通路にポンと置かれたプラスチックの背もたれのない椅子に6時間ほど座らされた。これはさすがにきつかった。

21時過ぎにプーケットタウンに着き、モトサイでパトンビーチに向かい、適当なホテルに連れて行ってもらう。

最初に行ったホテルは高すぎたので、モトサイのおじさんにもう少し安いホテルに連れていってもらい、なんとか宿を確保。

チェックイン後、遅い夕食をとりに近くのシーフードレストランへ。酔ってきた黒猫に海老の頭をやりながら、一緒に夕食。昔のヨーロッパ旅行を思い出す。プーケットは、だいたい英語が通じるので、言葉の面ではずいぶん楽だ。

5日目
夜中に腹痛で起き、朝になっても下痢だった。外は今日も雨。やはり、ローシーズンのリゾートは良くない。

とりあえずエアーチケットを買いに近くのツアー会社に行くとタイ人と間違われ、奥の地元の人用のところに連れていかれてしまった。ダイビングも扱っている会社で、PADIのTシャツを着ていたからか、ただ単に色が黒いからか。

エアチケットを買ったら、もうお金があまりない。海岸でハンモック売りの兄さんに声をかられる。結局、言い値の10分の1のB150で購入。

ハジャイで撮ったタイガールの写真にバストが写っているのがあったので、ムスリムの国マレーシアでの現像は控えたほうが良いと判断し、近くの写真屋で現像を依頼。

あてもなく、ぶらぶら過ごしていたので、持ってきた本はすべて読んでしまった。

6日目
プーケットから国際線でクアラルンプールに戻る。

タイを出国するために、空港の使用料B500 を払うと、財布の中には、B20 のみ。
お金も使い切った。