バリ島紀行

1998.6

6/20
クアラルンプールから一路バリへ。デンパサール ングラライ国際空港に13時頃到着。

空港から郊外まで歩き、ベモ(軽トラックのようなタクシー)に乗ってデンパサールへ。デンパサールのテュガルベモステーションに降り立ち、現在地も分からず路頭に迷う。

近くの飲み物やでここはどこかと聞くが、誰も英語が話せないため分かってもらえない。

たまたま客としてやってきたベモの運転手ラワンというおやじが英語が通じ、クルンクンに行きたい旨話。バスならここからだと3度乗り換えがありバトゥブランでは15時過ぎたら、いつ出発になるかも分からない。自分がチャーターで観光しながら5ドルで連れていってやろうと言われ、考えた末O.K.する。

いろいろまわって。クルンクンの東にあるゴアラワというこうもりがいっぱいいる寺院に連れていってもらう。

クルンクンのホテル ラーマヤナロホについてお金を払うだんになって、5ドルが10ドルになり、さらに日本のボールペンはとてもいいからとせびられる。気がつけば11ドルとボールペン1本かかってしまったが、ガイド代と思えばまあいいか。

来る途中で見た沐浴があまりに気持ちよさそうだったので、ホテルのそばのウンダ川で現地の人と一緒に沐浴をする。

川に入ろうとすると、先に入っていた家族連れの親父に、向こうに行けと追い払われた。どうやら、家族の中に若い女性もいたらしい。沐浴ルールなるものも存在したのかもしれない。

何にせよ、スッポンポンではいる川は開放的でとても気持ちがいい。

大混浴露天風呂といった感じで非常に爽快だ。たいていの男はフルチンで、女性は下着のようなものを付けていた。

インドネシアの物価がよく分からない。途中のみやげ物屋で買ったバティックがRP200,000、コーラ1本RP2,000、ホテル1泊RP10,000、夕飯に食べたサティとナシでRP7,000。

シャワーもない簡素なホテルだったが、それにしてもコーラ5本分だ。

ホテルのオーナーの子ども2人と一緒に庭先のテレビでサッカーワールドカップの日本VSクロアチア戦を観戦。2人とも日本を応援してくれた。残念ながら0-1で負けてしまった。

6/21
朝、クルンクンの観光をしようと思っていたが、ベモに乗ってブクサ寺院に行きたいと言ったときにはすっかり忘れていた。

英語のほとんど分からない運転手だったが、ブクサ寺院までベモのチャーター RP40,000で交渉成立。

寺に入ると、おばあさんがやってきてお祈りの仕方を教えてくれ、一緒にお祈りをした。賽銭箱にRP2,000を入れた。

そのあと若い兄ちゃんがやってきて寺を案内された。終わったあとガイド料を請求された。なんとかディスカウントして RP200,000を払った。

田舎なので安心していたが、さすがバリ。うかうかしていると高額請求される。

セレモニーが11時からだと聞き、近くの飲み物やで休んでいると、若い兄ちゃんがやってきて世間話をする。トヤ・ブンカに行きたい旨話をすると、交通手段があまりないから10ドルで私の車で送ってやろうと持ちかけられる。誘い方がとても上手い。ただ、公共の交通手段はなく、ベモがないことも分かっていたのでお願いすることになる。

まずは車を見せてやると言われ、彼の家まで一緒に行く。立派なハイラックスだった。彼の家族たちとも紹介された。彼の母親は、いきなりトップレスででてきた。おばあさんだが、バリの人たちはトップレスはあまり気にしないようだ。

セレモニーはとても小さなもののようで、始まる前に少し見ただけで、10時半頃に彼と彼の友人のドライバーとともにトヤ・ブンカに出発。

なぜか、運転は友人で2対1だ。どこかに連れて行かれたやばいかもと思いながら警戒体制にはいるが、ただ旅行者相手にお金を稼ぎたかっただけの若者だった。

バトゥール山の麓で、バトゥール温泉の湧くトヤ・ブンカ村に宿をとる。宿にはいると数人の若者が押しかけてきて、やれ登山ツアーしないか、マッサージはどうだ、絵を買わないかと商魂たくましい。

ただ、売れなくても、まるで友人のようにいろいろ話しかけてくる。とても楽しい時間を過ごす。

登山ツアーを持ちかけたワヤンという24歳の若者と、明朝登山をすることになる。

ワヤンに風葬の村トルニャンに行きたいというと、ボートをチャーターして、ガイドとして付いてきてくれた。50ドル。

トルニャン村の風葬が行われている墓地は、バトゥール湖の外れにあり、ボーでしか行けないらしい。

墓地には、風葬され骨だけになった人の姿があり、ゾッとする。なんとなくひんやりとするのは気のせいか。

トヤブンカに戻ったあと、ワヤンが山の回りをバイクの後ろに乗せて周ってくれた。

観光のあと、一緒にホットスパにはいる。今回のガイド料を聞くと『他の人は40ドルだが、おまえは友達なので料金をいってくれ』というので、世話になったから40ドル払うというと喜んでいた。こんな辺鄙な村なのに観光慣れして、うまいものだ。

そういえば、山の周囲を周っているときに、山道を歩いている少年の写真を撮ると、お金はせがまれた。バリはすごい。

手元に100ドル札しかなく、村ではお釣りも出せないからと村の若者がわざわざウブドまでバイクを飛ばし、両替に行ってくれた。

そのまま100ドル取られないかと心配したが、細かく崩した100ドルを渡された。ただ、そのあと、『手間賃に10ドルくれ』と言われて、困っていると、ワヤンが友達なんだからと制してくれた。

バリの若者は、観光客相手にお金稼ぎをしているが、根はいい奴なんだろう。
ただ、彼らの中に彼女が日本人だというのが数人いた。観光に来ている日本人の若い女性の素行が心配だ。

ワヤンや友人たちとたくさん話し、いい英語の勉強になった。

ホテルは半屋外の風呂兼トイレが付いて9ドルとかなり安いくとても良いところだ。

夜は、結構涼しい。明朝は登山のため5時半ととても早いので、早く寝よう。

 6/22
朝、5時起きでワヤンともう一人ガイドが付いて3人と犬1匹でバトゥール山登山。

朝早かったせいか、山頂に行く前に便意をもよおし、途中で野ぐそ。

登山は、かなりハードだったが、山頂にたどり着く。山頂でしばらく休息。ガイドが持ってきた卵を温泉で茹でてくれて、トーストとゆで卵で朝御飯。

帰りはカルデラの周りを回り下山。かなり急な勾配で2度ほど滑った。
ワヤンが弟の靴を借りてきてくれていたが、どうやら靴擦れができてしまった。

9時半頃下山すると、すでに昨日トヤブンカまで送ってくれた2人の青年が迎えに来てくれていた。

ウブドに向かう途中、タンパシリンのティルタエンプルによって聖なる水を少し飲んだ。

そのあとゴヤガジャにより、洞窟にある像を見た。

ゴアガジャ遺跡(Goa Gajah)は、ウブドの東およそ4Kmに場所にある、11世紀ごろの古代遺跡で、なぜここに、何の目的でこのような遺跡があるかは、はっきり分かっていませんが、僧侶が瞑想や修行をした場所、と言われています。

遺跡の名前ゴアガジャ(Goa Gajah)とは、「ゴア(Goa)=洞窟」「ガジャ(Gajah)=象」で「象の洞窟」と言う意味。
これは14世紀にこの遺跡をオランダ人が発見した時に見つけた像が、巨大な象の石像に見えたからと言われています。

有名な、顔のレリーフが掘られた洞窟は、1923年に発見されたもの。
洞窟の内部には、ガネーシャ神と、ヒンドゥーの3大神(シヴァ、ヴィシュヌ、ブラフマ)を祭る3体のリンガが祀られています。

そしてウブドのホテル ポンドゥククチルにはいる。ここまで送ってくれたのだが、結局細かい米ドルがなくて50ドル近く払う羽目になってしまった。かなり高くついた。

ホテルは、観光地に近く街なかにありながら静かでかなりいいところだ。バンガロー風で部屋からの続きになっている軒下にソファーやテーブルがある。庭につながっており、かなり開放的でとても快適な部屋だ。値段もRP50000+10%と、とてもリーズナブル。

昼飯は近くの店IBUOKAでバビグリン(豚の料理)の入ったナシチャンプルを手で食べる。結構辛かったがおいしかった。日中暑かったのと朝の疲れでホテルに帰って昼寝。

16時頃涼しくなったので2時間ほど自転車を借りてウブドの町を散歩。なにかお土産でもと思って探すがあまりいいものがない。とりあえず猿の変な安い木彫りだけ買う。

19時半開演のさだぶだやのレゴンダンスを見るために18時半にサンドウィッチを持ってウブド王宮のステージで席取りをする。なかなか良かったがケチャダンスも見てみたかった気がする。レゴンダンスはRP15000だった。

6/23
朝7時から散歩。ウブドのマーケットに行く。かなり大きく大勢の人でにぎわっていた。露店でちょっと愛嬌のある木彫りを2体購入。肩肘をついている人、ハーイというポーズの人。もう一つ小さなバロンマスクも購入。しめてRP150000。

ホテルで朝食をとりベモでバトゥブランまでいき、プラプサの見学のため歩いて出かけるがほとんど見ることができなかった。

バロンダンスも朝9時半からで見ることができず落胆して歩いていると、売店のおばさんが声をかけてきて、バロンダンスの会場に入れてもらうことができた。中にいた掃除をしていたおじさんもいい人で、裏にあるバロンダンスのマスクや衣装を見せてくれて写真を撮らせてくれた。礼を言って外の売店で昼食。ミーの少し入ったスープとナシを食べた。

少しバトゥブランの町を歩いたあと、ベモに乗ってデンパサールへ。ベモステーションについて地理がわからず休んでいると、近くに座っていたおばさんがバリニスと間違って声をかけてきた。少し話をし、町の中心のププタン公園の場所を聞き、歩いてププタン、そしてバリ最古のホテルといわれるナトールバリホテルへ。以外に安く、少しディスカウントの交渉をした後RP17500で1泊。

シャワーを浴びて町の散歩。マーケットの方にいくと映画館があり、Hなのをやっていてここはマレーシアでないのを実感。

ホテル近くの寺院ジャガナダにいくと、きれいな女性がいて、入っていいかと聞くと中に来て腰に黄色いサルンを巻いてくれた。セルフタイマーで一緒に写真を撮ったら、手を繋いでてきたのでドッキリ。

一般食堂でソトアヤムの軽い夕食をとりホテルに戻りタクシーの運ちゃんにバトゥブランにあるケチャダンスとファイヤーダンスの会場に連れていってもらう。

ケチャダンスは思っていたのとは違い、周りで「ケチャケチャ」といっている100人の男性の内側でストーリーが展開された。

そのあとのファイヤーダンスは、若者が燃えている火の上を裸足で踊りだす。短い時間だったが、度肝を抜かれた。

交通費RP30000+ショー10000なかなか良いタクシードライバーだった。いろんな人との出会いがありとても楽しい旅だ。 

6/24
ホテルをでて昨日のドライバーに乗せてもらってクタの町にはいる。クタにはいると葬式のための行列があり、さっそくついていく。この旅は何かとシバァ神のお導きがある旅だ。

その後クタの町を闊歩。たまに物売りがよってくるがこの肌の色のせいか比較的少ない。ただあまりに観光地化されているせいか辟易し、買い物を済ませて間に合えば帰ることにする。

クタの町を歩き回ったあげくTシャツ2枚とイカット織りのベッドカバーを購入。

ちょっとやってみたかったバンジージャンプは、とりあえずやめてタクシーに乗って空港へ。一路クアラルンプールへ。免税店で革のスーツケースをカメラバック用に購入。40ドル。

マレー鉄道と温泉の旅

1999.9.12-17

マレーシア クアラルンプール 〜 タイ ハジャイ 〜 ラノーン
            〜 プーケット 〜 クアラルンプール

Screenshot

1日目
旅支度をし、午前中にクアラルンプールセントラル駅に向かう。

駅でハジャイまでの列車を確認すると 21:15発の寝台急行が、最も早く着くことがわかり、そのまま切符を購入。

あまりにも時間がありすぎるので、インド人街に行き、換金率の良い両替商でマレーシアリンギッからタイバーツに両替を済ます。一旦、家に戻り近所の映画館に「The Mask of ZORRO」を見に行く。

夜になって再出発。

列車はほぼ予定通り出発し、寝台で横になる。いよいよ明日の朝はタイに入国だ。

2日目
朝、国境の町「パダンブサール」の駅で列車が停まる。

周りを見ているとみんな列車から降りだした。
どうやら降車客だけではないようなので荷物をまとめて一緒に降りる。

イミグレーションで出入国の手続きを済ませ、再び同じ列車に乗車し、そのままハジャイまで向かう。

降り立ったハジャイの街は、狭いふつうの町だった。話では、ムスリムのマレー人たちが羽目を外しに行く歓楽街と聞いていたのだが。

しばらく街中を歩いて散策。買い物で賑わう普通の田舎町だ。

安宿「King’s Hotel」を見つけ泊まる場所を確保する。
受付を済ませると、「今晩、レディブッキングしないか?友達紹介するから。」と言われたので丁寧にお断りをする。

疲れたのでタイ式マッサージに出かける。古びた部屋にマットレスと枕だけが無造作に並べられた部屋に通され、施術。よく歩いたためか、ふくらはぎを押されるととても痛い。

夕方、せっかくハジャイまできたのだからと思い、タイガールショーを見に行く。
夜の時間には早すぎたようで、ショーが始まる時間まで1時間もあり、店にはまだ客はひとりもいなかった。
センターのよさそうな席に案内され、気合の入ったお客さんになってしまった。

ショーが始まると最初は女性シンガーが歌を披露。
歌っている間、マネージャーのような男性が隣の席に来て、「あのシンガー素敵でしょう。歌が終わったらあなたの席に呼んであげるから、花輪を買って贈ってあげて。」と言われ B500 払う羽目になる。

歌い終わったあとにシンガーがお礼を言いにやってきて、隣の座ってくれた。
話をしながら次のダンスショーを見ていると、シンガーの友人だという踊ったばかりのダンサーもやってきて席についた。なんといい身分だ。

しかし、ハジャイはすごい町だ。昼は物を売って、活気にあふれ、夜は性を売って熱気がある。

ショーの後、シンガーが、「店に B1,000 払って私をブッキングしないか」と言ってくるし、帰りにトックトックに乗り合わせたダンスの衣装をまとった女の子も同じく誘ってきた。

ショーを見て、ビールを飲んで、あげくにシンガーに渡す花輪をB500で買わされたが、それでも全部でB1,100 程度だった。

ハジャイの夜はとても長いが、疲れてホテルに帰って寝る。

3日目
今日は、次の目的 タイの温泉に入ること。

ハジャイからバスでスラートターニーをまわり、温泉のあるラノーンまでいく日程だが、まさに一日がかりだった。

Kings`s Hotelで親切にしてくれた受付の子NOKが、モーニングコールをかけてくれた。

一緒に写真を撮って送ることを約束し、部屋をでたが、ロビーでいくら待っても昨日頼んでおいたバスが来ない。

しょうがなくロビーの女性に昨日契約した店に電話してもらい30分遅れでようやく乗ることができた。しかし、途中でバスを乗り換えされ、ハジャイをでたのは10時だった。

スラートターニーには、ラノーン行きの最終がでるという15時にぎりぎり間にあったが、ラノーン行きのバスは1時間以上遅れてやってきた。

20時過ぎにようやくホットスパのあるホテルに到着。

途中、山道を延々と走り、日は暮れ、雨は降りだし、もやはでてきた。泊まるホテルも決まっていなかったので、多少心細くなってきた。山の中を走っているのに、ふっと外を見ると傘をさして歩いている女性がいてギクッとしたり、もやの中、前方にうごめく物があり、バスが近づいてみると、牛が6頭のそのそ歩いていたりとなかなかの体験。

なんとか宿を確保できたので、夕食をとってさっそくスパにはいる。レンタル水着着用なのに男女で分かれていた。円形の深い浴槽で、あまりきれいではないが、お湯につかるとなかなかいい気持ちだ。深いので、日本のように座って入るのではなく、立ちながらの入浴。
さあ、明日はどうしよう。

4日目
マレー鉄道に乗り、国境を超える。タイの温泉に入る。この2つの目的を果たしたので、今日は特に何も予定がない。

とりあえず、海岸に向かうと船着き場があり、買い物のおばさんたちで賑わっていた。

船でミャンマーに渡る人たちで賑わっていたようだ。どうやら普通に往来しているようなので、ミャンマーにいってみたいと思う。

買い物客に紛れて、ミャンマーの国境の町コータウンにボートで渡ろうとするが、イミグレに行くように指示された。

実は私のパスポートは、渡航制限があってミャンマーに行けないパスポートだ。
パスポートを見せて係官に説明するが、No problem といわれた。それでも少し心配だったので何度も説明すると、上官のところに連れて行かれた。

上官には、「このパスポートでミャンマーに渡れば帰ってこれなくなるぞ」と言われ、断念。
みんな深く考えないで、適当に返事するから自己責任で気をつけていないととんでもないことになる。危なかった。

仕方なく、ボートのおじさんに頼み、ミャンマーに上陸しないで、賑わっている海岸線をボートでまわってもらう。

プーケットに向かうバスを見つけたので、プーケットから国際線でクアラルンプールに戻ることにし、バスのチケット買って乗車。

なんとバスは満員で、通路にポンと置かれたプラスチックの背もたれのない椅子に6時間ほど座らされた。これはさすがにきつかった。

21時過ぎにプーケットタウンに着き、モトサイでパトンビーチに向かい、適当なホテルに連れて行ってもらう。

最初に行ったホテルは高すぎたので、モトサイのおじさんにもう少し安いホテルに連れていってもらい、なんとか宿を確保。

チェックイン後、遅い夕食をとりに近くのシーフードレストランへ。酔ってきた黒猫に海老の頭をやりながら、一緒に夕食。昔のヨーロッパ旅行を思い出す。プーケットは、だいたい英語が通じるので、言葉の面ではずいぶん楽だ。

5日目
夜中に腹痛で起き、朝になっても下痢だった。外は今日も雨。やはり、ローシーズンのリゾートは良くない。

とりあえずエアーチケットを買いに近くのツアー会社に行くとタイ人と間違われ、奥の地元の人用のところに連れていかれてしまった。ダイビングも扱っている会社で、PADIのTシャツを着ていたからか、ただ単に色が黒いからか。

エアチケットを買ったら、もうお金があまりない。海岸でハンモック売りの兄さんに声をかられる。結局、言い値の10分の1のB150で購入。

ハジャイで撮ったタイガールの写真にバストが写っているのがあったので、ムスリムの国マレーシアでの現像は控えたほうが良いと判断し、近くの写真屋で現像を依頼。

あてもなく、ぶらぶら過ごしていたので、持ってきた本はすべて読んでしまった。

6日目
プーケットから国際線でクアラルンプールに戻る。

タイを出国するために、空港の使用料B500 を払うと、財布の中には、B20 のみ。
お金も使い切った。

ボルネオ 東マレーシア(ムル、ミリ、サンダカン)

1998.10.27-11.1

グヌン・ムル国立公園ディアケイブ探検とセピロックオランウータン保護センター・サンダカン

ボルネオ島
北部をマレーシア(サバ州・サラワク州)とブルネイ、南部を東・西・南・中カリマンタンの4州で構成されるインドネシアが領有している世界の島で第3位の面積(73.7万㎢)を擁する島。別名カリマンタン島。

ボルネオについて(認定NPO法人ボルネオ保全トラスト・ジャパンのHPです)

1日目
クアラルンプール スバン国際空港からマレーシア航空に乗って、一路東マレーシアへ。

ミリへの直行便はなく、クチンで一度降機。

マレーシア国内間の移動だが、入国カードを提出し、再度飛行機へ。

ミリに着いて少し時間があったので、タクシーの運転手に1時間でミリタウンの観光をお願いし、街中を流してもらう。

19人乗りのプロペラ機に乗ってムルへ。
同乗したのは、2人の子どもを連れた欧米の家族が1組だけだった。

途中、雲の中に入り激しい雨と雷。思わず映画「six days seven night」を思い出してしまった。アナウンスでムルはハードレインだと言うのを聞きながら眠ってしまった。

着陸して目が覚める。外を見ると晴れている。『良かった』と思いながらターミナルを見るとなんとミリと書いてあった。雨のために引き返してきたのだった。

やむを得ずオフィスに行って翌日の1時の飛行機を予約し、ミリで宿泊するホテルのクーポンとタクシーチケットをもらうことになった。ホテルは中級ビジネスホテルだが、一応夕食、朝食つき。

ムルのホテルに電話し、予約を変更してもらう。明日帰りの飛行機も変更してもらわなければ。

2日目
午前中、ミリ市内を散策。

昼の便でようやくムルに到着。とりあえず、帰りの予約便を1日ずらし、ホテルの送迎車でロイヤル・ムル・リゾートホテルへ。

グヌン・ムル国立公園近くの静かな熱帯雨林に位置するリゾートホテル。大自然に溶け込んだ地上3メートルの木造高床式シャレースタイル。木製の壁や床と花柄のテキスタイルが南国情緒を醸し出している。客室はジャングルを見晴らす部屋、川又は山を眺望する部屋等がある。

オフィスで明日のケーブツアーを予約し、自転車を借りて近所をサイクリング。

ホテルがいいホテルなので、一人でいるのがやけに寂しく感じる。

ムルの目的は洞窟散策。
マレーシアの友人から、ムルでガイドをしている知人がいると連絡をもらったので、ケープツアーをキャンセルし、明日のケーブ案内を友人の知人に依頼する。

3日目
ガイドを依頼したジャクソンに案内され、オーストラリアのキャロラインというおばさんと一緒に洞窟をまわる。

午前中は、ボートに乗って、ウインドケイブとクリアウオーターケイブの散策。

午後から公園入口より歩いておばさんと2人だけでディアケイブ、ロングケイブとまわる。

ガイドは洞窟の外で待っていて、2人で行って来いというので、ルートの説明を受け、2人で懐中電灯を持って洞窟に入っていく。

ディアケイブの中は真っ暗で、懐中電灯だけが頼りだったのだが、キャロラインの懐中電灯が途中でつかなくなり、二人で足元を照らしながらなんとか戻ってくることができた。

二人だけで真っ暗な洞窟を回ることになったので、キャロラインとは、いろいろと話をすることができた。

観光のあと、キャロラインとオーストラリアのジョーンという男性を交えて夕食をとる。

食後、外のカフェに移りさらに話をして過ごした。今日はよくビールを飲んだ。

4日目
午前中は、カヤックを借りて一人でリバークルーズにでかける。川の周りはジャングルで、鳥の鳴き声しか聞こえないような場所だった。何か合っても誰にも気づかれずに助けてもらえなさそうだ。

カヤックは、下りを操る方が難しい。なんとか無事ホテルに戻ることができた。

13時の便でミリへ。

コタキナバルへの便がなく、6時過ぎまで待つことになった。

ミリ市内を案内してくれたタクシーの運ちゃんとばったり会い、「今ボーディングしている便に乗れないか聞いて見ろ」と言われて聞気に行くが、すでに出発時間を過ぎており、乗ることはできなかった。

18時の便でジョーンに再会。

コタキナバル到着後、翌日のサンダカン行きの便を予約をしに行くが、すでにオフィスは閉まっており断念。

とりあえず飛行機の時間だけインフォメーションで確認し、市内のハイアットホテルに宿を取る。RM140だが、とてもいい部屋だ。

5日目
早朝の便に乗るために、朝早くにホテルをでる。

7時の便に乗れるとのことでサンダカンまでの往復チケットを買い、一路サンダカンへ。

8時前にサンダカンに着いたが、ツアーオフィスはまだ閉まっており、朝食を食べながら待つ。開店と同時に出向き、セピロックオランウータン保護センターとサンダカン市内のツアーに申し込み、9時前に出発。

セピロックは、サバ州の昔の州都でもあるボルネオ東海岸のサンダカンにあります。
このセピロックの一角にあるのが、セピロックネイチャーリゾートです。リゾートの周辺には、オランウータンの保護と、ジャングルに返す取り組みを行っている、「セピロック・オランウータン・リハビリテーションセンター」や、環境教育を目的に建設され、森林保護の大切さを学ぶことのできる、「レインフォレスト・ディスカバリーセンター」があります。

一人だけのツアーだったため、日本人墓地に行きたいという希望も聞いてくれた。ガイドはなかなかいい人で、まめに説明してくれた。

セピロック、日本人墓地に行き『サンダカン八番娼館』の木下クニの墓をお参りし、市場を見学した。市場で足下を駆け抜けていったネズミは、今まで見た中で最大だった。

『サンダカン八番娼館』 山崎朋子著
“からゆきさん”―戦前の日本で十歳に満たない少女たちが海外に身を売られ、南方の娼館で働かされていた。そうした女性たちの過酷な生活と無惨な境涯を、天草で出会ったおサキさんから詳細に聞き取り綴った、底辺女性史の名著。

昼食のあと、水上家屋や寺院を観光し、空港へ。

17時の便でコタキナバルに戻り、高級リゾートホテル(シャングリラ タンジュンアル)に泊まる。ガバメントプライスでかなり安くなりRM180程度。ただ部屋はハイアットに比べれば落ちる。今日は英語ばかりでかなり疲れた。

6日目
昼過ぎまでホテルのビーチサイドでゆっくり読書。のんびりと本を読むにはとてもいいところだ。

3時前にチェックアウトし空港へ。K.L.への便を家から近いスバン空港行きに変更してもらい帰宅。

行き当たりばったりで、ネコブルもある気ままな旅だった。ムルの洞窟やジャングル、サンダカンの観光、人との出会いもあり、なかなかよい旅だった。

ネコブル:トラブルほど深刻ではない小さなアクシデント
『マレー半島すちゃらか紀行』若竹七海著 の造語。

London ,UK

2024.9
2週間後のロンドン行きが降って湧いてきた。

運良く、ANAの特典航空券でロンドン往復をとることができた。
座席がエコノミーなのは仕方ない。

航空券の取れる行程で探したため
往路 CTS – HND – LHR ANA便
    翌日羽田乗継
復路 LHR – ZRH – NRT – CTS  Swiss International Air Lines便
    チューリッヒ乗継時間90分、成田乗継時間7時間
 少々難アリの行程だが、仕方ない。
必要マイル数 62,000マイル、燃油・諸費で 105,920円

Booking.com で東京1泊とロンドン3泊のホテルを予約。
娘の影響で、最近Booking.com を利用している。
ポイ活サイトを通すとなんだか料金が高くなるので、ポイントは諦め直接予約。
泊数が増えると特典がついてくるのが、少々嬉しい。

今回、旅の目的の一つにトランスポーターの役割もある。ジェイソン・ステイサムに負けない活躍が期待されているかも。

ヨーロッパで使える eSIM をネットで注文。9日間5Gで ¥1,380,- 。
ロンドンでの実日数は、3日程度なのでこれで十分かな。
日本で eSIM を設定し、アクティベーション。これで現地に行けば繋がるはず。

ちょうど「SHOGUN」がエミー賞をとったので、徳川葵の紋のついた日本手ぬぐいをお土産に購入。「SHOGUN」のモデルが徳川家康なので、劇中の家紋は、徳川葵に似たものだが、まあこちらが本物。

1日目
早朝便で新千歳空港から羽田空港へ。
ANA便なので、到着は第2ターミナル。明日の出発も第2ターミナルなので、コインロッカーにスーツケースを預ける。1日600円で2個のスーツケースとコートをいれる。

第3ターミナル直結の羽田エアポートガーデンに移動し、All Day Dining Grande Aile でプライオリティ・パスを使ってビュッフェランチ。

時間は11:00〜15:00しかやっていないが、かなり豪勢なビュッフェを味わえる。

AMEX系のカードや三菱UFJのカード付随のプライオリティパスでは使えなくなったらしい。このままでは、どんどん改悪されていくのではという不安が募る。

ゆっくり昼食をとり、くつろいだあとは、旅行用の洗濯袋を探して空港内のドラッグストアや旅行グッズ店を回るが見つからず。空港での購入は諦め、京急本線で本日の宿泊地京急川崎へ。

川崎は、裏道に入ると東南アジアっぽい。雑多で多国籍な飲食店が入り混じっている。

川崎駅前のハンズで探していた「Attack どこでも袋でお洗たく」を見つけ購入。

夕食は、地元の美味しいものでもとうろついてみたが、すき家の牛丼で落ち着く。

ホテルはカプセル系のホテルで可もなく不可もなく。外観やロビーは少々おしゃれ。

明日も朝早いので、早めに休む。

2日目
6:00前にホテルをチェックアウトし、京急に乗り、羽田空港第2ターミナルへ。

ロッカーから荷物を出すが、日にちをまたいだからか、追加料金600円を請求された。

荷物を整理し、チェックイン。スーツケースの重さは、24kg弱と18kgくらいだった。重量制限は23kgだと思うが、ギリギリ無料で預けさせてもらえたようだ。

第2ターミナルの国際線は、ANAの一部だけなので、空いていてとてもいい。
ANAラウンジも新しく、かなり充実している。スーパーフライヤーズのありがたみを実感。
ANAラウンジでの朝食ビュフェといった感じだ。飛行機はエコノミーなので、たっぷり食べておく。

座席は窓側3列の通路側だったが、他に人がいなかったので、3列丸ごと使えたのでゆっくり過ごすことができた。少し丸まって横にもなれるので、セミビジネスと言ったところか。

エコノミーの食事もテーブルが狭いくらいで、問題なくけっこう美味しい。

ロシア上空が飛べず、時間が余計にかかったようだが、14時間ほどでロンドン・ヒースロー空港に到着。現地時間で16時くらい。

混んでると悪名高いヒースロー空港だが、顔認証のおかげかすんなり入国することができた。

地下鉄(アンダーグラウンド)エリザベスラインで、ロンドン市内へ。リバプールストリート駅で下車し、娘と待ち合わせて荷物を持って寮に向かう。

無事2個のスーツケースを娘に渡し、トランスポーターの役割終了。これからロンドン観光と古着屋巡り。

まずは予約していたホテル『20 East Tenter Street』にチェックイン。と言ってもホテルに出向き、メールで送られてきた番号を玄関の前で入力して箱を開け、中から鍵を取り出して玄関から勝手に入る。ロンドン版民泊といったところか。

部屋の鍵もついているので、指定された最上階の部屋に入る。バスルーム付きの部屋を予約していたが、バスルームは部屋の外の別室になっている。いちいち部屋の鍵を締めてバスルームの鍵を開けて使用するのが少々面倒だった。部屋の中は広く殺風景だが、冷蔵庫や湯沸かし器、テレビも付いていた。

ホテルの仕組みがよくわかっていなかったので、部屋に入るまで、娘についてきてもらっていたのだが、メールで「一人の予約だったはずだが、変わったのなら連絡が必要」と送られてきた。どうやら玄関付近にはカメラが設置してあるようだ。慌てて、娘に事情を説明するメールを送ってもらった。

娘を寮に送り、戻ってくる。部屋の中はなかなか殺風景。
疲れを取るために早々に眠りにつく。

3日目
ぐっすりとは眠れず、ほぼ1時間半おきくらいに目が覚めてしまう。5時半にはもう眠れないと思い、旅の記録をトラベラーズノートに記す。

シャワーを浴び、コーヒーを淹れ、持ってきたパンで朝食。
9月だが、なんだか肌寒く、暖房をいれる。今日は雨の予報だ。

娘の寮に迎えに行き、散歩がてら一緒に King’s College へ。

ロンドンの人は歩くのが早い。30〜40分歩き、大学そばのコーヒーショップ『[GREGGS』で、娘の友人から勧められていたソーセージパイを食べる。コーヒーと合わせて£2.25 とかなり安い。

Kings の UNION SHOP でKingsロゴ入りTシャツを買い、娘と別れて、一人で市内散策。ロンドンと言えば霧雨のイメージだったが、今日はかなりの雨。その中でも、多くの人は傘をささない。コートでもいいかと思ったが、頭がかなり濡れるので、ポンチョを出して上から羽織る。

雨の中を、Kings → ウエストミンスター寺院 → バッキンガム宮殿 → ビッグベン → ロンドンアイ → ナショナル・ギャラリー → ピカデリーサーカス → Kings と4時間ほどの散歩。

帰りにナショナル・ギャラリーを通ると並んでいる列が短かったので、ゴッホの『ヒマワリ』を見るために入るが、残念ながら催しがあり、ゴッホの作品は別展示になっており、見れず。

娘と待ち合わせたあと、古くからあるパブで軽くビールを飲む。地下にもいくつか部屋があり、変わった作りだ。

Castle Baynard の古いパブにて

ハリー・ポッターの撮影で使われた市場を通り、寮の近くのインド料理『ハラル・レストラン』で夕食をとり、明日に備えて帰って寝る。かなり雨に濡れながら歩いた。ロンドンでコートは必需品。

4日目
夜中に何回か目が覚めてしまう。

今日は、11:30に娘と大英博物館で待ち合わせ。
6時前にシャワーを浴び、7時過ぎにはホテルを出て、ロンドンバス【205】でハリー・ポッターの駅に向かう。バスはけっこう時間がかかる。細い道をグイグイとハリー・ポッターの映画さながらの運転だ。

9 3/4 ホームで写真撮影。ハリー・ポッターのギフトショップの前の壁に9 3/4 ホームの入口がある。列に並んで写真の順番を待つ。ギフトショップの人が、マフラーや杖を貸してくれて、お店の人が写真を撮ってくれる。

いい大人が一人でハリー・ポッターの真似も恥ずかしいのと、写真代が高くつきそうなので、マフラーや杖を断ってセルフで写真を撮らせてもらった。

駅の前には、露天が並びいい雰囲気だ。朝ご飯に駅前の『Black Sheep coffee』でBreakfast Set (コーヒーとソーセージマフィン)を食べる。

歩いて大英博物館に向かう。前を通るとすごい列ができていた。11:30の予約でまだ小一時間時間があったので、近くの COSTA Coffee でカプチーノレギュラーサイズを飲みながらトイレと休憩、と思って店に入ったが、トイレの前には『Breakdown』の張り紙。

仕方なく、トイレは我慢し大英博物館の展示物をチェック。

11:30の予約で、11:10頃行ったら、すんなり入れてくれた。列はほとんどなく、手荷物検査で少々並んだくらいですんだ。

ロゼッタストーン、ギリシャの彫刻群、イースター島のモアイ像、エジプトのミイラ、ルイス島のチェス駒等を1時間ほどで見て回る。

大英博物館からロンドンバス【8】で、ブリックレーンへ。40〜50分くらいかかった。
狙っていたバスの2階の最前列に座ることができ、景色を楽しめた。が、運転は荒いので、2階は揺れて少々酔った。

ブリックレーンの目的は、まずは有名なベーグル屋さん。
店の中から外まで列ができていたが、程なくソルトミート入りのベーグルをゲット。店内のカウンターで食べる。みんなが並ぶだけあってうまい。量も多くてお腹いっぱいになった。

ブリックレーンの目的2
アート巡り。特にバンクシーの絵は見逃せない。

ブリックレーンの目的3
ロンドンの大きな目的で持った、古着屋巡り。数件回ったが、なかなかいいものを見つけることができず。有名なヴィンテージショップも回るが収穫なし。

娘が、休憩のためと荷物を置きに寮に一旦戻る。その間にもう少し、古着屋を回るが、やはり収穫無くホテルに戻る。

19:00に Jack the Chipper という切り裂きジャックみたいな名前の店で再び娘と待ち合わせ。念願のフィッシュ・アンド・チップスを食べる。

フィッシュ・アンド・チップスとイカリングを娘とシェアし、あとは飲み物。昼過ぎに食べたベーグルのおかげであまりお腹が減っていない。

帰りにロンドン塔、タワーブリッジの夜景を楽しみ、娘を寮に送り、スーパーに寄ってお土産に紅茶とお菓子、朝食用にバケットとオレンジを買ってホテルに帰る。

オレンジはうまい。若い頃にバケットとチョコとオレンジを携えて、ヨーロッパを回ったときのことを思い出した。

ロンドン塔はなかなか雰囲気がいい。処刑場にもなっていたところだそうだが、惹かれるところだ。娘の寮の地下に土塀が残っているのだが、どうやらこのロンドン塔の外堀でないかと思われる。

5日目
昨夜のロンドン塔がとても良かったので、朝、散歩にロンドン塔、タワーブリッジを回る。夜景とはまた違い、昼もなかなか良い。

荷物をまとめ、10時前にチェックアウト。スーツケースを娘の寮に預け、そのまま娘について再び Kings まで散歩し、そこで別れる。

古着を買えなかったので、Kings の UNION SHOP でラガーシャツを買おうと思って見に行くが、紺色のオーバーシャツを見つけ購入。少々高いが、記念にはいいかなと思い決断。あとから思えば、イギリスと言えばラグビーだったかな。

明日の朝の飛行機のため、今晩はヒースロー空港で寝る予定のため、今日は長丁場。
できるだけ疲れないようにしておくつもりだ。

見れなかったバッキンガム宮殿での衛兵の交代式でもと思ったが、冬場は隔日で今日はない日だった。

まずは、娘のすすめで、歩いて BILEE MARKET HALL を散策。なかなか素敵なところで、しばらく見て回ったあと、ベンチで持ってきたバゲットをコーヒーで軽く昼食。

地下鉄やバスには1日の上限料金がある。今日は夜に空港まで行くので、目一杯乗り物に乗っておこうと思い、妻に勧められたハロッズにバスで移動。

でっかい百貨店くらいにしか思っていなかったが、びっくり。デカさは半端ないし、中もすごい。惣菜やチョコレート、香水などそれぞれに大きな専用スペースが有り、中で迷ってしまう。スーツケースを持っては入れないようだ。娘のところに預けてきてよかった。

しばらく見て回ったあと、再びバスでノッティングヒルへ。ロンドンに来る前にもう一度見ておきたかったが、残念ながら見ることができなかった『ノッティングヒルの恋人』の舞台へ。

ジュリア・ロバーツの写真が貼られた本屋さんを見たあと、適当に散策。週末には、もっと店が出て賑やかなようだ。

どうせ娘の寮に近いからと、休業日で行けなかったブリックレーンのアウトレットの靴屋 Blackman’s shoes に行っておきたいと思い、地下鉄バスを乗り継いでブリックレーンに移動。閉店時間まであまりないのでかなり急いで Blackman’s shoes の住所にたどり着いたが、靴屋はない。周りを調べてもない。店舗の写真を見てみると、たしかにこの場所だ。どうやら店はなくなってしまっていたようだ。

娘のところにスーツケースをとりにくのだが、せっかくブリックレーンにきたのでもう一度古着屋を見ながら向かう。おー地下はすべて £10 という古着屋を発見。早速行ってみるとなかなか面白い。シャツやパンツ、ジャケットにコートと何でも £10 。

女性がトレンチコートを物色していた。いくつか試着されていたが、なかなかいい感じだ。ロンドンにいるとトレンチコートは必需品に思える。着てきたアーミーの  コートに染みができていたのと、ジャケット中に着るにはサイズが小さいので、トレンチコートを物色。

若干大きめだが、色合いも珍しく良さそうなものを発見。それをキープしたまま他を見ているとウールのジャケットにちょうど合うサイズが合った。ボタンはすべて取れてしまっているが、ブルーとブラックのチェックでなかなかいい色だ。2つまとめて £20 で購入。

娘のところにスーツケースを取りに行き、夕食を食べにでる。高架下の雰囲気の良いパブに行くが、本日貸切で入れず。

しばらく歩いて、Nicholson’sという良さそうなパブを見つけ席につけるか聞くと、予約の入っている時間までもう少しあるので、それまでなら大丈夫というので席につく。中はとても賑やかだ。

ビール1杯づつとフィッシュ・アンド・チップス&ミートパイを注文で £60 と値段はまあまあだが、美味い。ロンドン最後の夜にロンドンらしい楽しい時間を過ごすことができた。

スーツケースをリバプールストリート駅まで転がし、エリザベスラインでヒースロー空港へ。23時ころターミナル2に到着。24時間営業のコーヒーショップの席はすべて埋まっており、それ以外に椅子がおいてない。隅から隅まで探し、4人がけのプライオリティシートを見つける。すでに先客が一人いたが、端の席に座らせてもらう。時間が経つと一人、もう一人と増え結局4人席に座って仮眠を取る。座れただけでもラッキーか。

6日目
4時過ぎに人の動きがあったので、早速チェックイン。すんなりとチェックインすることができた。中には4つのラウンジがあったが、ルフトハンザのラウンジは改装中。他のラウンジもまだ開いていない。一番遠いが、ユナイテッドのラウンジが良いという評判だったので、ベンチで少し時間を潰し、ユナイテッドのラウンジへ。

チケットとカードを見せると、お前は入れないと追い返された。仕方なく違うラウンジにと思い移動しかけたが、スターアライアンスのゴールドメンバーなのにそれはないだろうともう一度戻って話をする。チケットを見せてもゴールドメンバーだと強く主張。再度調べ直してもらい、なんとか入ることができた。

ユナイテッド・ラウンジでシャワーを浴び、朝食をとる。なかなかいいところだ。夜の疲れを少しでもとっておく。

スイス航空でチューリッヒへ。乗り継ぎ時間はとても短かかったが、なんとかラウンジに行く時間があった。スイス航空のチョコが美味い。

7日目
9:00すぎ、成田着。荷物をとって、入国。

ターミナル2のカードラウンジで、ビールを一本もらい時間を潰す。昼食は、プライオリティ・パスでやきすき。これは美味い。日本帰ってきて旨い肉を食べることができた。

乗り継ぎ時間がたっぷりあるので、ターミナル3に移動し、再びプライオリティ・パスでぼてじゅうの食事。関空のぼてじゅうと違い、決まった定食(道頓堀セット)がだされる。

ターミナル1のANAラウンジに戻り、シャワーを浴び、ビールとジュースで時間を潰し、ようやく千歳空港行きに機乗。楽しいロンドン旅行を終えた。

GRAND RAPIDS & CHICAGO , USA

往路
11:50 羽田発シカゴ行き 全日空NH112便 ビジネスクラス。

今回は、娘の卒業式&シニアアワード授賞式への参加。
万一トラブルがあって遅れると困るので、前日に東京入り。
羽田空港から京急で大鳥居駅まで行き、HOTEL MONday 泊。夕食はホテルそばの『すき家』で牛丼。
空港までのシャトルバスは予約制。朝7:00発に予約をいれる。

ホテルの朝食弁当を部屋でいただき、シャトルバスで空港へ。

レートが少し下がっていたので、念のために羽田空港で約2万円分両替しておく。
¥19,895 → USD126 レートは、157.89 と高いが、最近では比較的マシなレートだ。

荷物を預け、専用レーン(世界の150ヶ所以上の空港で利用できるスターアライアンス ゴールドトラック)で、スムーズにセキュリティを通過。

ANAラウンジで、出発時間までくつろぐ。機乗してからの食事が楽しみだったので、サラダとサンドイッチで軽く昼食。

機種は、ボーイング777-300ER  ビジネスシートが新しくなった『新212席 THE Room』で、ビジネスが64席も設置されている。当初6列目の座席指定をしていたが、機種変更により、14列目に。前向きの席と後ろ向きの席をくっつけることで、スペースを上手く利用している。奇数列だと後ろ向きになってしまうため少々後列になっても、偶数席でリクエストする。

ボーイング777-300ER 新212席 THE Room は、素晴らしく快適。公式ホームページにリンクを貼っておきますので、詳細は公式ホームページでどうぞ。

復路は、ボーイング777-300ER 新212席 THE Suite

往路の食事は、機乗間もなくの昼食とシカゴ時間での朝食の2回。それ以外にも好きなときにラーメンやサンドイッチ・フルーツ等のリクエストができる。

アミューズ 
ANAオリジナルスティック、ムール貝のマリネ。ドリンクは、ペリエ。

昼食は、洋食にし、
メインディッシュに牛フィレ肉のステーキ
デザートは、ムース オ フレーズ をリクエスト。

着いてから車の運転があるので、映画もアルコールも控えめにして、できるだけ眠るように心がける。

映画は、国内線の続きの『アメリカン・フィクション』、そのあとに『マーマレード』『アイアンクロー』の計3本。

朝食もあるので、途中食は食べたいものもたくさんあったが、控えておいた。

朝食は、コンチネンタルにしたが、
ハム・チーズとパンにコーヒー。
思ったより軽めだったので、これだったら途中食を食べておいても良かったかなと少し後悔。

フルフラットにもなり、かなり寛げる。
とても快適な空の旅だった。

1日目
シカゴ着8:30 同時刻の到着便もなかったようで、入国審査までスムーズに運ぶ。
荷物を受け取り、到着したターミナル5からターミナル間移動電車ATSでレンタカーを借りるMMF駅へ移動。

機内で差し替えたSIMは、問題なく使えた。
事前にアマゾンで購入しておいた、アメリカ10日間のT-Mobile高速データ無制限使い放題の物理SIM。通話も付いているが、多分使うことはないだろう。

Hertzで事前にレンタカーを予約していたが、利用方法がよくわからなかったので、受付に並び順番を待つ。順番が回ってきて、事前予約番号をいうと、書類を渡され、ゴールドメンバーなので車までいけと言われる。

どうやら、駐車場のところにゴールドメンバー用の受付デスクがあったようだ。
掲示板に名前と借りる車の駐車場番号が表示されていた。
名前の横に書いてある番号の駐車場に行くと車にキーも付いており、そのまま乗っていくシステムのようだ。

車は、シボレー・コロラド という3.6L V6 のピックアップトラック。テキサスナンバーだった。乗り心地はなかなか快適。
スーツケース4個をなんとか後部座席に詰め込み、駐車場から出ようとするが、かなりの渋滞。
駐車場出口で、免許証と書類で間違いがないかチェックしているようだ。

11:00頃に駐車場を出て、iPhoneのマップで宿泊予定のホテルを目的地に設定し、走り出す。

目的地グランドラピッズまでフリーウェイを走行するのだが、とにかく車線がたくさんあり、枝分かれが多い上に車のスピードが速い。iPhoneのマップを凝視する妻の指示でなんとか大都市シカゴを通り抜けることができた。

道がわからないのとスピード違反で捕まりたくないので、かなり気をつけて走っていたが、枝分かれが多く、6車線ほどの道で中央線よりの車線を走っていると白い車に後から煽られた。やだなぁと思って道をあけると抜いていった車の横には『POLICE』と書かれていた。最低制限速度違反だったのか?

でかい車がビュンビュン走っているだけで、景色に代わり映えもせず、米国に来た感が出てこないので、3時間ほど走ったあとサウスヘブンでフリーウェイを降りる。

車を道端に寄せ、ようやくしばしの休憩。もってきたパンで軽く昼食をとる。
農道のような信号の殆どない道を通り、整備された庭に平屋のきれいな家が並ぶホーランドの街を抜けてグランドラピッズへ。

シカゴとは1時間の時差があり、16時半過ぎにホテルフェアフィールド・イン・グランドラピッズに到着する。

ホテルにチェックインを済ませた後、寮まで娘を迎えに行き、一緒にホテルに戻ってくる。今晩は、娘もホテル泊。

夕食は、持参したカップ麺で軽く済ます。
疲れのため早めに眠りにつくが、時差ボケで2時間も経たずに起きてしまう。

2日目
ホテルのロビー横のダイニングに簡単な朝食を食べに行く。
スクランブルエッグとハンバーグ、ソーセージ、パンに飲み物やヨーグルトが用意されている。自分でワッフルを焼ける機械もあり、出来立てのワッフルも楽しめる。
ホットミールは少ないが、いろいろな種類のものがおいてあり結構楽しい。

今朝のメニューは、食パンを焼いてターキーハンバーグとスクランブルエッグを挟んでサンドイッチにし、ヨーグルト、チョコレートミルク、オレンジジュース、焼き立てのワッフルにコーヒー。

まだ寝ている妻を置いて、娘と近くのReeds Lake の John Collins Park に車で散策に出かける。
街は整然としていて、手入れが行き届きとてもきれいだ。治安の良い高級住宅地といったところか。

午前中に娘の寮に空のスーツケースを運ぶ。そのまま、構内を案内してもらって散歩。ハリーポッターのホグワーツを思わせるような、レンガ造りの校舎や森のような庭があり、とても良い環境だ。

午後からホテルに戻り、部屋でご飯・味噌汁・佃煮で軽く昼食をとり、仮眠。夕方のパーティーに備える。

スーツに身を包み、着物の妻をエスコートし、再び娘の学校に。シニアアワード授賞式なので受賞者とその家族2人までが招待されている。

会場には、軽い食べ物とレモネードなどの飲物が用意されていた。

最前列のテーブルに案内され、教授と他の受賞者とその家族と同席する。

式典が始まるまでは、飲み物や軽い食事片手に談笑。

式典では、受賞者がメンターと一緒に壇上に呼ばれ、簡単な紹介のあと、メンターよりメダルが授与される。

式典終了後、ホテルに戻って眠るが、相変わらず時差ボケのため2時間も経たずに目が醒めてしまう。にも関わらず、とにかく眠い。

3日目
きちんとした料理があるわけではないが、たくさん種類があって、ちょっと楽しみな朝食。
眠れないので、6時に朝食を食べに行くと、今日は土曜なので7時からだった。仕方なく、コーヒーだけもらって、それをもって散歩に出かける。

ジュースサーバーのオレンジジュースが壊れていたので、クランベリージュースにする。マフィンをトースターで焼いて、ハンバーグ状のソーセージを挟み食べる。続いて、冷蔵庫にあったハンバーガーを電子レンジでチンして食べる。昨日に続き、ワッフルを焼いていたが、少し離れているうちに、野球のユニフォームを着た女子高生たちが詰めかけてきて、焼いていたワッフルも奪われてしまった。仕方なく、コーヒーと一緒にパンを一つもらって、部屋にもっていく。

しばらく部屋で休んでから、ロビーのトイレに寄りがてらコーヒーを貰って、エレベーターを待っていると、清掃のおばちゃんが背後から「Your body perfume is so good!」と話しかけてきた。ん、トイレの芳香剤か?

少し早めに娘のところに行き、妻が卒業式のアカデミックガウンを着る手伝いを娘と同室の友人にしている間に、娘が作っていたおにぎりで軽く昼食。

少し早めに会場に行ったが、すでに列ができていた。外でしばらく待った後、入場。卒業生の席の両サイドに保護者用の席が用意してあるのだが、どのあたりが良いかわからず、適当に見やすそうなところを陣取る。競技場の観客席のように段々になっており、かなり狭い。大きい体のアメリカの人はかなり窮屈そうだ。

前列には、家族で陣取っているラテン系の陽気な家族、隣はメキシコ系の夫婦。なんと、隣の夫婦は、娘の友人のフィアンセの両親だった。

先生方もガウンに身を包み、厳かな雰囲気だ。

式は2時間ほどで、数人のスピーチのあと、一人ひとりに証書が手渡された。その後、恒例の帽子を投げ上げるハット・トスと思いきや帽子は2つくらいしか飛ばなかった。後で娘から言われて知ったのだが、証書授与のあと帽子についているタッセルを右側から左側に移すのが大切な事だったらしい。終始、ビデオを回していたのだが、そんなことは知らなかったため、話をしている学長にビデオを向け、卒業したという意味のタッセルの位置を変えるという娘のいちばん大事な瞬間を画面から外してしまっていた。

ハット・トスはアナポリス海軍士官学校で行われていたのが発祥らしい。海外の映画やドラマを見ていると、卒業式には必ず行われるものだと思いこんでいたが、そうでもないようだ。

式後は、友人の家族やお世話になった先生方と写真を撮ったり別れを惜しんだりと時間が過ぎていく。

落ち着いてから、卒業祝いに近くのアイスクリーム屋でアイス。

娘は、同室の友人と部屋の掃除をしながらワインを飲むと言っていたので、寮に送り、ホテルに戻って眠る。が、やはり2時間もしないうちに起きてしまう。時差ボケで眠い。

夜、娘からラインが有り、オーロラが出ているとのこと。早速外に出てみてみる。どうやら世界中でオーロラが見えていたらしい。

4日目
ちょっと楽しみな朝食、少しゆっくり目に食べに行くと、今日はサッカーの小学生たちが溢れていて、食べるものは殆ど残っていないような状態だった。2つしかないホットミールの鍋は、すでに撤去されていて、パンやヨーグルトもわずかに残っているのみ。補充も間に合わないようで、期待は薄い。パンとワッフルの生地を絞り出して焼いてなんとか朝食をとる。

昼には、寮を開けることになっているので午前中に娘のところに行き、ゴミを捨て、ピックアップトラックにスーツケースを載せ、友人の家族と別れシカゴに向けて出発。

復路は、景色を楽しみたかったので、フリーウェイを避けてゆっくり向かう。

昼食にミシガン州のハンバーガーショップ『Culver’s』でセットを買って、駐車場の車で食べる。店で食べたかったが、荷台にむき出しでスーツケースを4つ自転車のワイヤーでロックしているだけなので、盗難が心配なため、車から離れることができなかった。

ミシガン湖の周りを時計回りにぐるっと廻るので、見晴らしの良いところでは、右側にミシガン湖が見えとてもきれいだ。のどかで広々とした街並みは、整備されており北海道にとてもよく似ている。

シカゴに近づいてくると摩天楼が見え始め、都会的になってくる。

ダウンタウンのホテルにチェックインし、荷物をおろし、妻をホテルにおいて娘と空港まで車を返しに行く。

空港からは、ブルーラインでダウンタウンまで。所要45分くらい。片道$5 で1日券も$5だったので、1日券を購入。24時間乗り放題とのこと。

ホテルは2人で部屋を取っていたが、娘が一緒にシカゴまで来れるようになったので、一人増えることをホテルに連絡すると、『当日話せ』と言われる。まぁ1部屋のルームチャージなので一人増えようが関係ないようだ。当日、部屋に入るときに清掃の方から余分にタオルを貰って終わりだった。

夜、ホテルの近所に散歩に出かけたが、特に治安が悪そうな様子もなかった。ただし、あまり遅い時間の外出は避けたほうが良さそうだ。夜、部屋にいると結構パトカーのサイレンが聞こえていた。

夕食は疲れていたので、部屋でご飯と味噌汁ですます。

5日目
当初、シカゴパスを買って観光でもと思っていたが、パスを消化するために忙しく回るのも何だなぁと思い、適当にブラブラすることにする。

とりあえずは、ホテルそばの公園を通って北上し、美術館の前を通り、ミレニアムパークにモニュメント『豆』を見に行くが、工事中で、柵の隙間からしか見れなかった。

世界で3番目というスターバックス・リワードで小休止。早い時間だったのでまだあまり混み合っていなかった。

昼食に、これは外せないシカゴピザを有名な『PIZZERIA UNO」で食べる。外の席が空いていたので案内してもらった。できるまでに40分はかかるとのこと。傘があったが、そこから外れると鳥の糞の攻撃にあうので注意が必要だ。

3人だったら、サイズは何がいいか聞くとMでも大丈夫と言われるが、Sにしておく。1枚を4つに切ってあったが、一切れくらいで十分な量だった。1ピースは持ち帰り。ちょっと下地がサクサクし過ぎでピザっぽくないと思ったが、持ち帰ったピザが時間が経って生地がしっとりしていて美味かった。

さらに、ウインドーショッピングをしながら北上。ネイビー・ピアまで歩く。雨が降ってきたので、その間、ネイビー・ピアで座って休憩。夜景が見える時間までは体力が持ちそうにないので、雨が小雨になったのを見計らって、遊歩道を歩いてホテルに戻る。

シカゴの街は、シカゴ大火で再整備され建築物が建造されていったようだ。素晴らしい建造物が立ち並び、街のあちこちにペイントが施されている。

アフリカ系のアメリカ人が多く、アジア系を見ることは稀だった。

夕食に、キューバサンドを食べに行く。キューバコーラとサンドイッチ、ビーンスープでなかなかうまい。

6日目
朝、40分ほど一人でホテルの周りを散歩。

娘はシカゴ近郊の街に友人と昼食のために出かけたので、妻とCTSの24Hチケットを購入。これで一日、地下鉄やバスに乗り放題。

まずは昼食を食べに、アメリカらしい『ワイルドベリーパンケーキ」へ。ネットでは、かなり混んでいて入るまでにずいぶん待たされるというようなことが書いてあったが、幸い、混んではいたが、すんなり席に案内された。

エッグベネディクト、チョコバナナパンケーキ、ベリージュースとアメリカンコーヒーを注文。コーヒーはでかいカップで、しかも飲み放題。

近くのモールを見たあと、バスでGreekTownへ。
ギリシャ人街というよりは、ギリシャ料理店が数点並んでいるだけだった。

ウォルグリーンという薬局で、配れそうなお菓子を土産に購入。

一旦ホテルの戻り、戻ってきた娘と待ち合わせて、予約していたギャングスター&ゴーストツアーの待ち合わせ場所に向かう。


ギャングスター&ゴーストツアーは、ノースループから歩いてホテル近くに戻ってくるツアーで結構評判が良かったが、いかんせん英語がわからないと面白さは1/10といったところか。ツアーガイドの説明が終わったあとで、娘に「で、なんて言ってたの?」と確認しながらだ。夕方18:00からのツアーだったので、ずいぶん冷えてきて、最後はカッパまで出して着ることになってしまった。その中で、終始Tシャツでいたゴツいアメリカ人がいた。

ツアーのあと、途中で見つけた『MILLER’S PUB』によって念願のファーストフードじゃないハンバーガーを食べる。3人で1個注文し、それぞれビールを頼んだ。ちょうどいい量だった。

7日目
シカゴ美術館に行きたかったが、あいにく休館日で見ることができなかった。

妻は明日の便で帰国するので、重いスーツケースを運ばなければならないため事前にコースの確認がてら散歩。ホテルからBlueLineの駅までの道と、エレベーターの確認を終え、国立図書館による。評判通り、最上階の中庭が素晴らしい。

一日たっぷり時間があったので、ループをウィンドウショッピングして回る。なかなか楽しいところだ。妻や娘とは見るところが違うので、集合場所と時間を決めて別々に回る。

疲れたので、Stan’s Donuts でドーナツとコーヒーで休憩。

昼食は、River North のハードロック・カフェそばのPotillo’s でホットドッグ。やっとシカゴドックにありつけた。これでシカゴピザ・パブのハンバーガーにシカゴドックと食べなきゃリストは制覇。

TRADER JOE’S で土産物を買い込み、CaramelCrisp でポップコーンを買い、妻も娘もご満悦。

夜は、メキシカンパブ Roti で Corona 飲みながらタコス。

帰り道、シカゴの夜景を街中から楽しむ。遠景の夜景もきれいだと思うが、街中からも素晴らしい。

8日目
ホテルをチェックアウトし、妻の荷物以外を預かってもらう。

妻は自分の荷物と娘の引っ越し用にスーツケース1個あるので、3人でスーツケースを引きずりながら空港へ向かう。事前に BlueLine の駅に行くまでをチェックしておいたが、エレベーターがつながっておらず、かなり苦労した。自分たちの荷物を預けておいてよかった。

空港で妻と別れ、娘と再びシカゴの街中に戻ってくる。妻の復路はビジネスクラス。ポラリスラウンジを楽しんでいるようだ。

ホテルに戻り、ロビーで昨日の残りのタコスを食べ、少し物足りなかったので、Navy Pear そばの Whole Foods Market でカリフォルニアロールと量り売りの惣菜を買って店内で食べる。ホテルに戻る途中、近くにあるバッキンガム噴水がなかなかいいらしいというので、よって一休み。

ホテルに戻り、大きなスーツケース3個と本の詰まった重いスーツケースを持って空港へ向かう。今晩のホテルは空港そばで、空港からピックアップしてくれるので、とりあえずシカゴオヘア空港へ。

せっかく空港に来たので、荷物の重さを計ってみる。重さの表記は(lb)ポンド。若干、重量超えのがあるので、荷物の入れ替えをしなければ。一番重いので 70.5 lb。 kg に換算すると32kg くらいだ。かなり重い。

ピックアップのバスがなかなか見つからず、かなり待つことになったが、無事にホテルにチュックイン。

重い荷物を引きずって、結構疲れたが、夕食のこともあり、部屋にこもっていても仕方ないので、アウトレットに行こうとバスを待つが、予定の時間にバスが来なくてほぼ30分バス停で待つ。

ようやく来たバスに乗り込むが、バスの中は若干治安が悪そうだ。空港の近くは結構治安が悪いと聞いていたが、バスに乗ってみると実感。これは遅い時間にならないように気をつけなければ。

アウトレットの閉店まで1時間くらいしかなく、慌てて見て回るがなかなかいいところだ。かなり安くなっているものもある。

閉店間際にぎりぎり空いていたピザ屋でピザを買って、外に出るが、バスがいった直後だった。仕方なく、娘がウーバーを頼み、それでホテルまで送ってもらう。ウーバーというのはよくできたシステムだ。日本にもあればいいのにと感心してしまった。

9日目
娘はカナダの知人宅に寄って帰国するので、今日の昼過ぎの便のため、娘と別れて、先にバスで空港へ向かう。RIMOWAの92Lプルタブの大きなスーツケース2個と本の詰まった機内持ち込みサイズのスワニー、それとトートーバッグ。タオルをRIMOWAの持ち手に引っ掛けて2個同時に引っ張っていき、スワニーの上にトートーバッグを乗せる。

ファーストクラスなので、荷物の容量も個数も十分。

チェックインし、荷物を預け、優先レーンで検査を受け、意気揚々とポラリスラウンジへ。

評判の高いポラリスラウンジ。素晴らしい。早速席に荷物を置き、ビュッフェコーナーでフルーツ、オレンジジュースと軽食。

奥にレストランコーナーを見つけ、行くがメニューがとても分かりづらい。ハンバーガーが有名で食べたかったが、まだランチの時間でないので食べることができず。
このあとの、ファーストクラスの食事もあるので ブルーベリーのヨーグルトだけにする。

復路
初搭乗 ボーイング777-300ER 新212席 THE Suite ファーストクラス

食前酒にポートワインを注文。メニューには珍しそうなワインのように書いてあったのでつい頼んでしまったが、あとで調べてみるとポートワインは食後に飲むのが良いように書いてあった。普段、アルコールを飲まないからなぁ。
別に好きなお酒を飲めばいいのに、コースのどこでどんなお酒を飲めばスマートなのかを気にしてしまうところが小市民。今度があれば食前酒はシャンパンかな。

お待ちかねのランチ 残念ながらメニューを記録し忘れてしまった。
まずはアミューズ

洋食
アペタイザー

サラダ スープ

メインディッシュ

デザート

飛行機の中で、フルコースの美味しい料理を頂いた。お腹いっぱいでかなりきつい。食べたいものはいろいろあるが、厳選して途中食を選ぶ。

途中食に
とんこつラーメン、フルーツ、ハンバーガーをお願いした。

ファーストクラスは、素晴らしいが、食事に合わせて何を飲めばいいか悩むし、広すぎて食事中にテレビを止めようと思っても画面に届かないし、トイレで席を外すと、戻ってくるとシーツ類がきれいにしてあったりと小市民には、あずましくない。
ちょっと悲しいが、我が身には、分不相応といったところか。
飛行機に乗りながら、体を伸ばせて眠れるというのは疲れを取るにはとてもいいのだが。

降機時にCAから、「いかがでしたか?」と聞かれ、「とても素敵なサービスで感激しました。ただ、シートが広すぎてちょっと落ち着かなかったです。」と洩らしてしまった。

初のファーストクラス。マイルのおかげで良い人生経験をさせてもらった。

GRAND RAPIDS & CHICAGO , USA プロローグ

2023 .5
イベント参加のため、2025年5月に渡米を決意。

ANA特典航空券ビジネスクラスを申し込むがすでにキャンセル待ち。

しばらくして往路の確定の連絡あり。あとは復路のキャンセル待ちだが、どこまで待つか?プレエコやエコノミーへの変更をしなければならないかも。

2023.9
復路のビジネスクラスが1席のみ空きがあったため、二人同時のキャンセル待ちは難しいだろうと考え、妻のみ予約確定。

燃油の高騰で、燃油等の支払額は 76,350円

2023.11
予定では、シカゴオヘア空港到着後、レンタカーでグランドラピッズに移動し、イベント終了後シカゴに戻ってくる日程。

とりあえず、グランドラピッズのフェアフィールドホテルをマリオットヴォンボイアプリで3泊予約。

シカゴの街中にブッキングドットコムを使い安宿を4泊予約。

2023.12
妻の便と一日ずれるが、ファーストクラスに1席空きがあったため、急遽変更して予約確定。成田から千歳への直行便が取れず、空港間移動で羽田に移動しなければならなくなってしまった。搭乗までになんとか成田乗り換えに変更できればいいのだが。

燃油等がさらに高騰し、燃油等の支払額が 97,770円 と2万円以上も上がってしまった。

往路は一緒だが、復路は別々の日程で帰ってくることになった。

ファーストクラスで取れたため、私の便の変更は難しい。同じ便でビジネスクラスの空きがあれば妻の便の変更がきくのだが。ただ、同じ便だと自分だけファーストクラスは少々気まずいかも。

2024.2
ESTAの申請。翌日には認可が降りた。

クレジットカードで$21の支払い。

シカゴのダウンタウンに押さえていたホテルから宿泊できなくなったとのメールが届く。確認してみると行政指導のようなものが入り、ホテルの運営ができなくなったらしい。せっかく安くで街中のホテルを押さえていたのに残念。

少々高くなるがホテルの取り直し。ホテルズドットコムで街中のトラベロッジ バイ ウインダム ダウンタウン シカゴというホテルを押さえつつ、マリオットヴォンボイアプリから3連泊で30%OFFになっているWホテルを押さえ、もう1泊を空港そばのフォーポイントバイシェラトンに予約を入れる。再考後にどちらかをキャンセルしなければ。

2024.3
復路の成田ー千歳便に空きをみつけたので、ANAに電話して変更してもらう。これで、空港間移動せずに札幌まで帰れることになったが、2時間半ほどしか乗り継ぎ時間がないためけっこう忙しそうだ。

妻と飛行機が一日ずれたために、一人でシカゴにもう1泊しなければならないので、空港にほど近いリーガル イン‐シカゴエアポートという安めの宿を予約。

2024.4
中央警察署に行って、国際運転免許証を申請する。
パスポートサイズの写真、パスポート、運転免許証でオッケー。
即日交付される。交付された窓口で、外国だからといってアルファベットでサインするように言われるが、パスポートには漢字でサインしているので、漢字のサインをする。
パスポートと違うサインで通用するのだろうか?

SIM カード
旅行中に使うSIMを、アマゾンで注文。より簡単そうな物理SIMにする。開通日を指定するのだが、LA時間の9:00スタートになるため1日早くに開通しなければならないため、10日間用にする。

レンタカー
ANA VISA PLATINUM Card にHertz ゴールドメンバーの特典があり、10%割引になるため、Hertz でレンタカーを予約。最安値で借りることができるのがミドルクラスのピックアップトラックだった。若干燃費が悪そうだが、4日間借りてコンパクトカーより10,000円以上安い。アメリカの燃費表示は、1Lで何km走るかではなく、100km走るのにガソリンをどれだけ使うかで表示されるためわかりにくい。

12.5L/100kmの表示なので、日本式だと8km/Lといったところか。まあ、ゴツくて、何かあったときも強そうなので、これに決める。代表車種は、Nissan Frontier Crew Cabだ。

Automotive Media Response の記事では、

Nissan Frontier
パワートレインは、最大出力310psを生み出す直噴3.8リットル V型6気筒ガソリンエンジンだ。トランスミッションは、9速ATを組み合わせる。このトランスミッションは、ロックアップ領域の拡大、レスポンスの高い電動油圧システム、長いインプットシャフトを採用することで、素早くダイレクトなシフトレスポンスを追求した。

サスペンションは、オンロード、オフロードで乗り心地とハンドリングを追求した。油圧キャブマウントが、走行時のキャビンの振動を80%低減する。クラスでは唯一となるウレタン製のバンプラバーによってダンピングを制御する。大径フロントスタビライザーとリアスタビライザーが、車体のロールを軽減しトラクションを向上させる、と自負する。

レンタカーの保険をどうしようか悩んだが、
自動車損害賠償保険(PP)、自車輌損害補償制度(LDW) は、セットで付いていたため
追加自動車損害賠償保険(SLI) だけ追加で加入しておく。

PPは、強制保険のような位置づけ、
LDWは、車両に傷などがついたとき用で、アメリカでは必須、
SLIは、PPだけでは全く足らないので、これがないとなにかあったときに借金だるまになるらしい。

ホテル
マリオットボンヴォイとホテルズドットコムのダブルブッキングになっていたシカゴ滞在のホテルをダウンタウンのトラベロッジ バイ ウインダム ダウンタウン シカゴに決める。

決めた理由は、次の3点
①4泊のトータルで、3万円くらい安いこと。
②ダウンタウンの街中で、ブラブラするのに良さそうなこと。
③鉄道の駅にも近く、空港に行くのに便利そうなこと。

これで事前準備は、大体済んだと思うのだが、色々準備していると自然にトラベラーズノートに必要なものを挟むようになっていた。やはり、旅にはトラベラーズノートだ。
新しい旅の記録ができるのが楽しみだ。

2024.5
いよいよ、旅が寸前に迫ってきた。
そろそろ荷物を整理しなければと思い、スーツケースを開き持ち物を確認する。

スーツケースは、息子のところから戻ってきていたRIMOWA TOPAS プルタブのルフトハンザモデル 92L。
日程は、国内トランジットを含め、10日。

ワードローブ
今回は、イベント参加のため珍しくスーツが必要。付随してワイシャツ、ネクタイにベルト。

道中は、飛行機の中で楽に過ごせるスーパーストレッチC17のジーンズ。
寝巻き代わりにもなり何かのときは、ジーンズの替えとして使えるスグレモノ。
上は、ロンT、トレーナーにMA-1かM-65ジャケットのどちらか。
靴はスーツでも履けるように、レッドウイングの黒いブラックスミス3345。

替えに、
Japan blueのジーンズにジップアップスウェット、ワークシャツ、Tシャツ3枚、パンツ3枚、靴下3足、念のためにポケッタブルのダウン。

アメリカの物価高と円安のため、カップ麺、パックご飯と味噌汁を少々多めにパッキング。

帰りに荷物が増えることを予想して、大きいスーツケースを用意したので、埋まったのは1/2も満たなかった。

台北 Taipei , TAIWAN

2012.Oct

1日目
6:48発の快速エアーポートで札幌から新千歳空港へ。

GATE OPENが8:00だったため、15分ほどゲート前で待つことになる。9:00発の大韓航空で予定通りのフライト。韓国仁川空港到着は12:00。

17:05の台湾桃園行きのフライトまで結構時間があったが、プライオリティパスを使い、ラウンジでゆっくり過ごす。なかなか良いラウンジで中で食事もとることができて助かった。

18:35に予定通り桃園に到着。空港で2万円を台湾元に交換。7322元になった。市内へ行くバスを探し、バスに乗って台北駅へ。1時間ほどで台北駅へ。

台北駅は広く、バスの降車場所からMRTの乗り場を探すのに手間取って20分ほど要した。結構大きな建物で地下もあり、なかなか分かりづらい。度々MRTを乗ることになるので、遊々カードを500元で購入。MRTに乗り西門へ。

地図を見ながら予約していたホテルには20:40頃到着。繁華街の中にあるのでなかなかにぎやかだ。ロビーのコーヒーが無料なのはうれしい。

夜、ぷらぷらと街中を歩いてみる。都会だが、どぶのような臭いもし、少々中途半端な感じだ。ホテルではWi-fiにつながったが、Skypeが送信できなかった。これじゃダイレクトに家には連絡はとれないな。

2日目
やはりSkypeは使えず、Gmailで到着の連絡をする。

ホテルで提供されていた簡単な朝食をとり、MRTで北投温泉(べいとうおんせん)へ向かう。少々込み合っていて、入場まで少々待たされる。40元の入浴料を払い、段々畑のような露天風呂へ。簡易脱衣所兼シャワー室のようなところで水着に着替え温泉に入るが、フィリピンで買ったパンツのような赤い水着だったため、パンツと間違われ追い出されそうになる。ポケットが付いていたので、それをアピールしなんとか難を逃れる。

MRTの乗り関渡(かんと)で降り、関渡宮を観光。関渡の駅そばで、気になっていたタピオカ入りミルクティーを購入。太いストローでもつかえそうなくらいの大きいタピオカが入っており、結構おいしい。飲みながら街を歩く。

昼食に地元の人たちで結構込み合っていた店で牛肉水餃子を食べる。食べ方もよくわからず地元の人たちの見よう見まねで調味料等を持ってきて食べた。結構おいしかった。

再びMRTに乗り、淡水へ。河口の町で夕暮れがきれいらしい。老街を歩き、船で対岸の八里に渡るが、特に何もなかったので、早々に引き返す。淡水の屋台で鉄蛋(てったん:煮込んで硬くなったうずら等の卵)の試食や臭豆腐・杏仁豆腐等を食べる。特に杏仁豆腐がおいしかった。

夕方になるほど込み合い、夕日の見えるほうに向かって人々が場所取りをしている。さんざん歩いて疲れたが、頑張ってホテルに戻る。

3日目
朝から歩いて西門紅楼棲―中山堂と向かうが、国慶節のため、あちこち道路が封鎖されている。ブラスバンドの団体が行列をしていたり、多くの人が見物に来ているのですごい人だかりで自由に動けない。

仕方なく二二八和平記念公園や総統府を遠くから外観のみ眺める。そのまま歩いて重熙門、剥皮寮歴史街区―龍山寺―東三水街市場―西三水街市場(ここで名物の福洲胡麻餅を食べる)。

MRTに乗り中山北路へ行き、アンバサダーホテルで恒例の家族宛ての絵はがきを出す。そこから雙連朝市でみかんを食べ、雙城街夜市のそばで海鮮鍋を食べる。固形燃料である程度煮た鍋を熱しながら食べるのだが、ボリュームもたっぷりで暑い。

そのまま歩いて花博(Expo)公園、台北孔廟、保安宮を観光しMRTで士林まで行き、バスで国立故宮博物館へ。この日は国慶節のため無料で故宮博物館を開放してくれていた。結構広く見て回るだけで大変だった。まずは有名な翠玉白菜だけはチェック。最近見ていた中国ドラマに出てくる清の第6代皇帝 乾隆帝の書などもあり興味を引いた。

士林夜市を散策し、MRTでホテルに戻るが、かなり歩いたため足がつりそうだ。

4日目
台北駅まで歩き台鉄で瑞芳まで行き、バスに乗り換え金瓜石(きんかせき)へ。鉄道の本数があまりなく1時間ほど待つことになった。瑞芳の駅でおばさんに声をかけられ、行き先を聞かれる。バス乗り場を教えてくれたうえ、駅でトイレに行ったりとうろうろしているとバス停まで案内してくれた。

金瓜石は金の採掘場跡で日本人が経営していた時期もあり、山の上には神社跡まで残っている。実際に金塊を触れる場所もあり結構見どころあり。

日本式木造建築を模した「鉱夫食堂」で、厚くて大きな排骨(パイコー)のフライ、それに煮込みタマゴ半分、たくあん、高菜漬け、スモーク豆腐など何種類かのおかずが入った「鉱夫弁当」を食べる。普通の家庭料理だがとてもおいしかった。そのうえアルミの弁当箱、箸、弁当を包んでいたハンカチをお土産で持って帰れた。

バスで九份へ行き、散策。いろいろおいしそうなものをガイドブックを見ながら食べようと思い店に入るが、ことごとく店を間違った。しかし、どこで食べたものもおいしかった。

帰りにバスを待つが、いつまでたってもこない。金瓜石まで戻ろうとしたが、タクシーの運ちゃんにしつこく声をかけられ、600元を200元にしてもらいタクシーに乗ることにした。台湾の人はとても親切だ。あまりボラれるということはなさそうだ。

台北に戻り鼎泰豊(本店)で小龍包を食べる。少々高いが食べ方も教えてくれて、とてもおいしかった。そのあと度小月の擔仔麺(もちっとした細麺、エビの頭でダシをとったスープに肉燥(豚そぼろ)とエビが載っている麺)とはしごして食べ歩く。

お腹を満たした後は松山の服街へ行く。問屋街らしく安くで購入することができたが、縫製は悪かった。失敗!

5日目
MRTで新店まで行き、バスに乗り換えタイヤル族の町烏來(タイヤル語で温泉の意)へ。バス乗り場が分からず、聞いたバスの運ちゃんがとても親切に教えてくれ、すぐにバスに乗ることができた。

トロッコと温泉目当てで行ったのだが、トロッコは残念ながら台風で壊れたため運休とのこと。仕方なく白糸の滝までタクシーで行くことにする。白糸の滝の上にある雲仙楽園にロープウェイに乗り行ってみるが、人がほとんどいない。急ぎ足でぐるっと見てくるが山の中の涼しい場所になにやらテーマごとに作り物がある。人気もなくさびしいのですぐに戻ってくる。

白糸の滝の前の土産物屋の女主人は先住民族の交流で日本に行きアイヌ民族とも会ったことがあり、片言の日本語を話していた。

どうも私がタイヤル族の酋長の息子に似ているとのこと。しばらく話した後、少し安くしてもらいとんぼ玉のストラップを購入。そして、店のおばちゃんのはからいで、今年度のミス烏來と滝の前で記念写真を撮る。

再び歩いて温泉街に戻り、現地の人たちが入っている川床にある温泉に水着に着替えて入る。なかなかいい湯だ。景色も素晴らしくゆっくりくつろぐ。

バスで台北市内に戻り、永康街の高記で昼食に小龍包を食べ散策。小龍包は鼎泰豊の方がおいしかった。

ホテルに戻った後、華西街観光夜市の排骨大王で夕食を食べ、ぶらついた後、台北駅にお土産を買いに行く。

6日目
台北駅でMRTの遊々カードを返却し、デポジットを含め89元が戻ってくる。空港行きのバスで桃園空港へ。きれいな100元札と500元札を記念に残し、残りを土産で使い切る。

13:25発の大韓航空で仁川へ。16:50に到着し、18:35の大韓航空で千歳へ。空港に家族が迎えに来てくれていた。

デルタ航空のマイルを使い、実質ホテル代と滞在費だけで結構台湾を楽しむことができた。この旅行で韓国製が台湾ではとても評判が良いのがわかった。

世界で通用する日本人になるためには、世界観を養うことが必要だ。やはり若いうちに外を見ることが大事だと痛感。

また、台湾は交通費、食費、観光料などとても安い。どうして日本はこんなに高くなるのか?台湾の人は少々無愛想だが、かなり親切である。ボラれる心配がないアジアは珍しい。

* SDカードがクラッシュし、写真がほとんど消滅してしまった。残念。辛うじて残された3枚のみ添付。

Cambodia, Vietnam, Malaysia

2010.Jan

今回の旅のルートは、日本からクアラルンプールで途中降機し、シェムリアップへ。シェムリアップからプノンペン、そしてホーチミンまで陸路バス移動し、飛行機でクアラルンプールに戻ってくる15日間の旅。

念願のアンコール・ワットの観光とホーチミンでの買い物、そしてクアラルンプールのコンドミニアムの物色。

1日目
 降雪のため新千歳空港で飛行機の大幅な遅れ。除雪が間に合わないため、羽田からの飛行機の到着めどが立たないらしい。

最悪を考えJRを利用して東京までの行程を確認する。
22:41 南千歳発で翌朝5:39 青森着。「特急つがる2号」に乗り換え、6:48 八戸。
八戸から東北新幹線に乗り9:51 東京へ。予算は約23,000円とのこと。

とりあえずラウンジにて様子見。搭乗カウンターに行ってみると、とりあえず飛行機は到着し、天候によっては戻ってくるという条件付きではあるが、飛びそうである。予定より2時間遅れの19:30に機内に乗り込み、雪下ろしのため機内で45分缶詰。まあ、遅くなったけれど、とにかく飛行機は飛び、夜遅くに無事羽田に着くことができた。23:00東京の実家に到着。

2日目
実家でゆっくり過ごす。
成田エキスプレスのチケットを予約。成田エキスプレスは全席指定。
AMEXで、Mobile SUICAを1万円分使うとマイルがたまるキャンペーン中のため運賃は、当日Mobile SUICAで支払うことにする。

本屋で村上春樹の「子どもたちはみな踊る」とiPhoneの解説書を購入し、Mac bookでBBネットに繋いでみる。無事にメールチェックできたが、速度はやはり遅い。せっかく購入したiPhone 3GS なので、少しでも使えればいいのだが。一応、旅の準備は整った。

3日目
 5:30 に起き、6:00 に実家を出発。鞄はいつもの3Wayサムソナイト。リュックにもショルダーにもキャスターを付けて転がすこともできるすぐれものだ。今回は機動性を重視し、ショルダー掛けにし、付属の小さいリュックを貴重品入れとして使用。

昨年末に買ったトラベラーズノートの使い勝手を確かめるのが楽しみだ。
レギュラーサイズの黒革のトラベラーズノートは、経年変化が楽しめる。A5スリムサイズのノートは使いやすく、チケット類を入れるのにもちょうどよい。

成田空港に8:00 頃到着。早速搭乗手続きをするが、Eチケットの番号違いがあったらしく、少々時間を費やすが、無事手続き終了。燃油サーチャージで14430円かかってしまう。

Duty Freeショップで妻に頼まれていた化粧品を購入し、マレーシア航空MH89便にて、10:30 日本を飛び立つ。機内は狭く、席も満席状態。機内で織田裕二の「アマルフィ」を鑑賞し、旅の今後にワクワクする。

 久々のKL(クアラルンプール)。入国後にマレーシア航空のオフィスに行き、今晩中に明日のフライトのチェックインができるか確認するが、無理とのこと。
ただし、基本的には12時間前にはチェックインできると言う話だったので、チェックインカウンターに様子を見に行く。試しにオートチェックイン機でチェックインしてみるが、時間がまだ早いためできず。
係員に再度確認すると、荷物がないなら、カウンターに人がいれば今晩23:00くらいから、チェックインできるかもしれないとのこと。
少々の期待を抱き、まずはKLセントラル駅へ。

KLIAエキスプレスはずいぶん立派で快適。30分位で着いてしまった。値段は少々高めでRM35。駅構内を眺めながら、KTMに乗り、見てみたかったメガモールへ。ずいぶん近代化されており、名前の通りだだっ広い。

夕食を食べ、ぐるっと回った後にホテル探しにKL駅に行くが、21:00になっており、暗くてとても探せそうになかった。やむを得ず空港に引き返し、空港で過ごすことにする。
チェックインカウンターに人がいたので、なんとか頼み込み、搭乗手続きを終え、中に入ることができた。

念願のプライオリティパスを使用し、ラウンジへ。寝るには少しきついが、ゆったりした椅子と軽食や飲み物、インターネットの環境があり必要充分。

4日目
 ラウンジで夜を明かす。ぐっすりとは眠ることができなかったが、仮眠はとれた。ラウンジで簡単な朝食をとり、搭乗ゲートの待合室で「地球の歩き方」を見ながら時間をつぶす。2日半でアンコール・ワットの遺跡を見て回るのは少々きつそうだ。

飛行機は、1時間ほど遅れて出発。ゲートを通過し、飛行機に乗り込むためにまっていると、ほとんどの人が入国カードに記載し始めた。どうやら自分だけ入国カードをもらい損なったようだ(係官が渡し忘れたようだった)。慌ててもらいにいき、入国カードに必要事項を記載。

飛行時間は時差があり、ランチ付きで実質2時間。空港は小さく、飛行機から降りてから歩いて建物に移動し、入国審査を受ける。空港でホーチミンからの飛行機のリコンファームをしようと、マレーシア航空のオフィスに行くが、ランチ中のようで不在。このあたりは東南アジアらしい。

やむを得ず空港でバイクを頼みホテルに移動。ホテルの受付の女の子は片言で日本語を話すことができ、この後の観光スケジュールを相談する。

少し時間は要したが、概ね固まり、ホテルのトゥクトゥクでアンコール・ワットの遺跡観光チケット(3日で$45)を買いに連れて行ってもらい、そのままプノンバケに夕日鑑賞に出かける。夕方だったので、本日分はFreeとのこと。

プノンバケの登山口には、たくさんのトゥクトゥクが止まっており、帰りに自分のドライバーを見つけられるのか少々不安になる。肝心の夕日は、沈む寸前で雲が出て隠れてしまった。少々残念。

帰りにオールドマーケットで降ろしてもらい散策後、夕食を食べ、歩いて帰る。思っていたよりも距離があり、途中かなり暗いところやいかがわしい店もあり若干おっかなかった。とにかく疲れた。部屋に戻りシャワーを浴び、明日のために睡眠。

5日目
 4:30にiPhoneのタイマーをセットし朝に臨んだが、なぜか0:30に起きてしまい、時間を間違って洗顔やトイレを済ませるなどの準備をしたが、時計を見てもう一度睡眠。

5:00出発でアンコール・ワットへ。$1のコーヒーを頼めば、用意されている席に座れるのだが、朝日がどこから昇るかわからないので、とりあえずあちこち動きながら写真を撮る。日の出の時間を聞くと7:30だと言われたが、6:00前から明るくなり始め、太陽が顔を出したのは6:30頃だった。人が多く、思ったより感動はなかったが、アンコール・ワットのシルエットが浮かび上がり、幻想的だった。

ホテルに戻りプールサイドでパン・卵・ベーコン・デザートの朝食。

再びトゥクトゥクで1時間半、シェムリアップ郊外のバンテアイ・スレイへ。
トゥクトゥクは直接日があたらず、ゆっくり座っていられるのでけっこう楽だ。周りの景色もよく見える。道路脇でものを売っている屋台、ハンモックで寝ている人、バンにギュウギュウ詰めで乗り込む人々、草を食べる牛や水牛、駆け回る鶏、怠惰に寝そべる犬、トゥクトゥクから、遺跡とは違うカンボジアの原風景を見ることができた。

バンテアイ・スレイは赤土が敷き詰められ、東洋のモナリザと言われるレリーフで有名な遺跡だ。

バンテアイ・スレイをあとにし、バンテアイ・クディ、タッ・プローム、アンコール・トム、アンコール・ワットとまわるアンコール・ワット小回りコースを観光。

バンテアイ・クディのあとレストランで昼食。チキン・ウィズ・ジンジャーと書かれたメニューを注文するが、なんと山盛りのショウガの千切り炒めに少々のチキンが入っていた。とにかく辛い。さすがに全部食べきれなかった。

写真を撮りながら歩き回り、とにかくへとへと。18時にホテルに戻り、夕食に行く力も残っていなかったので、ホテルでFreeで出しているおにぎりをもらって済ます。時間もなくなりアンコール・トムではバイヨンしか見ることができなかったため、明日の予定を変更し、再度アンコール・トムにいくことにする。

アンコール・ワット、アンコール・トムの遺跡はすごい。これがジャングルの中でひっそりと眠っているところを想像するだけでワクワクしてしまう。ただ、やむを得ないこととはいえ、人が増え、観光化されてしまっているのは少々残念だ。40年ほど前に、親父が行った頃はどんな風景だったのだろう?などと考えながら眠りについた。

6日目
 8時出発で、片道2時間ほどかけて郊外のベンメリアに向かった。ガイドブックには山道を通って遺跡に向かうため、山賊の襲撃や地雷の危険があり、現地に精通したガイドと同行するようにかかれていたが、ホテルの受付の子の話では、全く大丈夫とのこと。それを信じての観光だが、気の抜けない道中だった。

昨日の道路と特に変わりなく、カンボジアののどかな風景が続く。ガソリンを並べているところ、竹筒に入れた食べ物を売っているところなど、その場その場で数軒続いて同じものが売られている。

ベンメリアは発見された状態を少しでも残すため、極力修復をしていない状態で保存されている。入口付近で制服のようなものを着た人達に、地図を見せて現在地を確認すると、一人の男性が遺跡内を案内してくれた。崩れた石の上を昇り、崩れかけた門をくぐり、隙間をぬってあちこち説明しながら回ってくれた。どうやらガイドのために常駐していた人々のようだ。お礼にチップ$2を渡す。

観光客も少なく静かで、自然の中に残された遺跡で、心に安らぎを与えてくれる。何時間でもそこに座っていたいような不思議な場所だった。地元の子供たちが遊んでいたり、ガイドもどきの子供たちが、あちこちで観光客に話しかけ、ガイド料をせびったりしていた。
アンコール・ワット遺跡群の中で、個人的にはNo.1だ。

もっとゆっくりしていたくらいであったが、この後の予定もあるため、後ろ髪を引かれながらベンメリアを後にし、入口の外にある店で、ホテルで作ってもらった弁当を、トゥクトゥクのドライバーと一緒に食べ、アンコール・トムに向かう。

アンコール・トムは壮大な遺跡であるが、ベンメリアに比べきれいに修復が入っている分、少し味気ない。ガイドブックを見ながらレリーフを見て歩く。夕方からオールドマーケットで土産探し。コショウやスカーフなどを購入。

夕食にカンボジア鍋を注文するが、いまひとつ作り方がわからなかったので、店の子に作ってもらった。暑いところで熱い鍋もなかなかおつなものだ。事前に予約していたホテルのステイも今日で最後。明日以降は、宿を探さなければ。

7日目
 7時にホテルでピックアップしてもらい、メコンバス乗り場へ。
時間どおり7:30にプノンペンに向け出発。座席は満席で外国人旅行者は5分の1程度。豪華と言うほどでもないが、トイレ付きで出発後にミネラルウォーターやケーキ、おしぼりが出された。隣は商用で移動中のサラリーマンのようだった。

2時間ほど走った後、コンポントムという町で30分の休憩。とりあえずレストランに入りコーヒーを飲むが、いつもの濃いコーヒーにたっぷりのコンデンスミルク、やや胸焼けがする。

バスの前の屋台では果物や食用の昆虫が売っていた。イナゴの佃煮のようなものはまだわかるが、タランチュラやどう見てもゴキブリのような虫も売っていた。そばでこどもが虫をポリポリ食べていた。

13:30頃プノンペンに到着。とても賑やかな街だ。荷物を受け取り、早速明日のベトナム行きのバスのリコンファームを済ませ、乗り場を確認し、近くのケンタッキーで休みながらガイドブックで宿を検討。そばにWi-Fiのスポットがあること、マレーシア航空のオフィスが近いことからASIAホテルに決め、バイクで移動。

チェックインを済ませ、リコンファームのためにマレーシア航空のオフィスに行くが、ない。どうやら移転しているようで、ホテルで聞いても新しい場所が定かではない。とりあえずあっちの方、という方向に歩き始め、人に聞くがわからず。仕方なくそのままセントラルマーケット界隈を散歩。

この街の賑やかさは、きっとアジアでもトップクラスだろう。ASIAホテルのそばの少々いいホテルのドアボーイにマレーシア航空のオフィスの場所を聞き、バイクで向う。オフィスはややわかりにくいところだったが、無事リコンファームを済ませることができた。半年ほど前にマーケットに近いこの場所に移転したとのこと。

歩いてホテルに帰りがてら、街を散策。メコンバス乗り場をチェックし、バックパッカーの伝説の宿として有名なキャピタルというゲストハウスを見に行く。

プノンペンはKLの20年前、ホーチミンの10年前のような感じなのだろうか。ただし、Wi-Fi環境はけっこう整っていて、ホテルそばのカフェでiPhoneがメール送信などで活躍。

8日目
 ホテル近くのWi-Fiが使えるカフェで、朝食がてらiPhoneでインターネットとメール連絡。

そのあと、クイティオを食べセントラルマーケットで買い物。見て回ると品揃えはほぼベトナムと同じで、少し値段が安めかもしれない。

カンボジアRielがけっこう残っているので土産を探すが、ベルトやリュック、パンツに靴下など自分のものをかなり買った。土産にはパンツとTシャツ2枚購入。

国立博物館には、たくさんのレリーフや彫刻が納められており、回れなかった遺跡をもっと回りたくなった。博物館から王宮へ歩いて向かっていると、トゥクトゥクの兄ちゃんが声をかけてきた。今王宮は昼休みで入れないので、キリングフィールドへ行かないかと誘ってきた。

キリングフィールドは、かなり生々しそうなので、変なものが付いたら嫌なのでやめておこうと思っていた。しかし、これも何かの縁かと思い、キリングフィールドに向かうことにする。

塔に納められた無数の頭蓋骨、こどもが頭を打ち付けられて殺されたという大木、あちこちに半分地面に埋もれ、ぼろぼろになった衣類が落ちており背中が寒くなった。きちんと手を合わせ、祈ってきた。

帰り道、POSに寄ってもらい家族に向けた恒例の絵はがきを出す。新しい街に着けば、一人旅でも家族旅行でも家族に宛てて絵はがきを書くことにしている。自分よりも遅れて絵はがきが届くのだが、旅を思い出されてなかなかいいものだ。

声をかけてくれたトゥクトゥクの兄ちゃんが日本びいきで、日本のおかげで橋ができた、井戸が付いたと喜び、日本はすばらしいと語っていた。彼に市内の名所を回ってもらった。

ワットプノンは由緒ある寺で、周りを象に乗って回れると聞き、行ってみたがこれが笑えた。塔のてっぺんに鎮座していた仏様の背中からカラフルな電球が光っており、そのそばに置かれた商売の神様のような仏様は、眼鏡をかけ関西のおばちゃんのような顔をしていた。

カンボジアってこんなものなのかと思い王宮に行くと、ここは素晴らしい。エメラルドの仏陀、ダイヤモンドをちりばめた仏像、シルバーが敷き詰められた床、撮影禁止のため写真を撮れなかったのが残念だった。

観光後、マーケットに向かう。ここはさすがにアジアらしい。普通のマーケットの中は偽物の集まりだった。オークリーのサングラスがけっこう安いので本物かどうか聞いてみると、「本物だ」と答え、本当にそうかと問いただすと「カンボジアナンバー1の偽物だと開き直った。」靴屋にエアジョーダンⅢが$25で売っていた。つい買ってしまった。

9日目
 8:30発の国際バスでプノンペンからホーチミンに入る。12時頃国境を越える。小さなレストランで40分ほど待たされたが特に問題なく、簡単に国境越え。イミグレでバスのガイドが順次名前を呼び入国。イミグレの先で現地の人がゆでとうきびを買っているのを見て、思わず1本だけ購入。食感はもちもちとしており、味はいまいち。

バスの到着場所は、前回のベトナム旅行で宿泊したリバティ3の近くだった。荷物も重いので近場のLAN ANHホテルで部屋を見せてもらい、1泊朝食付きで$16で決める。部屋の中でWi-Fiも使えてラッキーだった。

荷物を置いて早速グランドホテル近くの店にいく。前回の旅行時にノースフェースのスキーウェアを安くで購入した店だ。今回は息子のスキー用のジャケットを買いに出かける。まず1万円を2,040,000ドンに両替。1万ドンで50円弱といったところか。息子のウェアは450,000ドン(2200円)、妻に頼まれていた義兄用のジャケットを弟の分と2着購入。合わせて1,050,000ドン(5200円)、兄貴への土産としてレインジャケット250,000ドン(1250円)すべてノースフェース。偽物じゃないかなという気がするが、生地も縫製も問題なく、なかなかの出来栄え。値段が安いため欲しいものがたくさん出てくる。自分用にノースフェースのグリーンのダウンジャケットを購入しようかずいぶん迷うが、とりあえずやめる。

ナイトマーケットを散策し、屋台で夕食。一人で来ていたオーストラリアの紳士的なおじさんと話をしながらの夕食となった。夕食後、マーケットで息子用にバーバリーのポロシャツを80,000ドン(400円)で購入。ホテルの部屋の戻りWi-Fiが大活躍。家にメールし息子のスキーパンツを購入するか確認し、明日もう一度買いに行くことにする。

ホテル近くの店で、娘の土産にショルダーバッグを購入。やはり、ホーチミンは買い物天国だ。

10日目
 ホテルのロビーでバケットにコーヒー、バナナという簡単な朝食をとり、散歩がてらベンタイン市場にショッピングに出かける。息子用にポロのボタンダウンシャツを探すがいいものが見つからず、代わりにポロのYシャツを購入。2枚で700,000d(3500円)と他の衣料品に比べかなり高く、ぼられたような気がして何となく気分が悪い。グランドホテル近くの店で息子のスキーパンツ500,000d、自分用にダウンジャケット550,000d、iPhoneカバー110,000dなどを買い、フォー24で遅い昼食をとる。

おみやげにこまごまとしたお菓子や蹴まりのようにして遊ぶ羽を購入。鞄がパンパンで背負うには少々つらそうなので思い切って$40で大きめのサムソナイトのキャリーバッグを購入。まあ、4000円程度なので、最悪帰ってから売ってもいいか。

ミルクフルーツ、オレンジ、マンゴと果物ナイフを買いホテルで食すが、ミルクフルーツの汁が口の周りに付くとなかなかとれず大変だった。

夕食はナイトマーケットの屋台で食べる。ニュージーランドの青年と話をする。社会人になる前に旅行をしているようで、5月には日本にも来ると言うことでメールアドレスの交換をする。

11日目
 朝食を済ませ、チェックアウトし、ホテルでタクシーを頼む。宿泊費+タクシー代で$40。空港まで渋滞がひどく1時間以上費やす。相変わらずホーチミンの渋滞はひどい。

チェックインを済ませ出国。また、水とソーダを没収された。タンソンニャット空港のオーキッドラウンジでプライオリティパスが使え軽食を取りくつろぐことができた。ラッキー!

マレーシアまで1時間半程度、まずは宿探し、チャイナタウン界隈で安宿を何軒か見せてもらう。3軒目でとりあえず、本日の宿を決める。エアコン付き、トイレシャワー共同で45RM(1260円)。ホテルのランクがどんどん落ちてゆき、少々悲しい気分になる。

最終日くらい少しいい宿を取ろうか。ベトナムより少し物価が高く感じる。ショッピングもベトナムほど魅力を感じなくなった。とりあえずシャワーとトイレのために使い捨ての安いビーチサンダルを4.9RMで購入。なかなか履き心地がよく持って帰ろうかと悩んでしまった。

12日目
 朝から不動産を見にKLセントラルへ。周りをずいぶん歩いたのち、ディティアラを見つける。オフィスのオープンまで30分あるというので、もう少し周りの様子を散策。確かにあちこち開発されてきているが、まだマレーシアっぽい。

モデルルームを見せてもらいオフィスの女性から話を聞く。日本にも短期留学していたらしく、日本語は話せないが、色々熱心に話を聞かせてくれた。

次のマンハビタットを見るためにモノレールでインビまで行き、地球の歩き方に載っていた店で肉骨茶を食べるが、いまいちかな。ブキッビンタンはとてもきれいでおしゃれになっていた。windowsXP 64bit、Mac oftficeのパイレーツVer.を購入。

スタバでメールチェックするとマレーシアで不動産を扱っている日系のトロピカルリゾートという会社からメールが入っており、本日のためにスタンバイしていたとのこと。ホテル日航まで歩き、公衆電話を使って連絡を取る。とりあえず連絡が行き違ったことを詫び、日本に帰国後連絡するように伝える。

マンハビタットほぼ完成しており、中はまだ工事中で見せてもらえなかったが、外観はかなり素晴らしかった。KL中心部の発展はすごい。たくさんあるメガモールには人がたくさんいる。今日はKL中、歩き倒した感じだ。

13日目
 前日、歩き疲れ、最後の1泊は休めるようにiPhoneを使いネットで、モール近くの3つ星ホテルを予約。10時頃荷物を引きずって新しいホテルに移動するが、部屋に入れず荷物を預け、むかしよく利用させてもらった懐かしのモールに出かける。こぎれいにはなっているが、人がとても少ない。昼過ぎになりようやく人が増え始める。

5000円分リンギッに両替し土産用にマレーシアの紅茶ボーティーを買い、よく利用していたマックで朝食。インド映画のDVDを良さそうなのを見繕い、1本購入。まだ、インド映画「Dil to pagal hai」 や 「ISHQ」 のDVDが置いてあった。やはり名作だったんだと実感。

2時になりシトラスホテルにチェックイン。ホテルらしいホテル。少し贅沢だが、135RMだからまあいいだろう。

少し休んでからチャイナタウンに出かけ、工具が無くて直せなかったベルトを屋台で頼んで直してもらう。無くしたショルダーストラップを屋台の鞄屋で無理を言ってストラップのみ売ってもらう。なかなかいいのが見つかって良かった。

チャイナタウンで豆腐花やパンミーを食べ、帰りにポロシャツを2枚購入。ポロのビッグマーク25RMと黒のポールスミス21RM。2枚ともなかなか良かった。ホテルに戻りくつろいだあと土産や荷物の整理をする。ベトナムでダウンジャケットを新調したので、着てきた愛着のあるダウンを泣く泣く手放す。

14日目
 12時チェックアウトのため、荷物の整理やプールサイドで「神の子はみな踊る」を読み、昼までゆっくり過ごす。そういえばマレーシアの本屋に1Q84始め、村上春樹の本が中国語に訳され、たくさん積んであった。

昼から荷物をホテルに預け、ブキッビンタンへ。10年前に入ろうと思いながら一度も行けなかった中華の店で昼食を食べる。

土産用にマフラーを3枚購入し、ブキッビンタンの交差点にあるフレッシュジュースの店でスイカジュースを飲みながら記帳。ジュースが高い、これじゃ日本と変わらない。

ホテルに荷物を取りに行き、チョウキットからモノレールでKLセントラルへ。17:50頃KLセントラルのバスターミナルに着くと18:00発のKLIA行きのバスがあったので、早速それに飛び乗る。1時間15分で到着。チェックインを済ませ頼まれていた、シェルチョコを購入。3 buy FREE1で鞄まで着いてきた。けっこうかさばる。ラウンジでくつろぎ、後はフライトを待つのみ。職場の土産はどうしようか?

15日目
 朝7:00ころ成田着。お土産がたくさんあり、少々心配ではあったが、無事税関を通過。少し時間がありそうだったので、実家による。

羽田の検査後にAMEXで入れるラウンジ有り。ソフトドリンクだけだがこぎれいで人も少なく快適だった。

高雄 Kaohsiung, TAIWAN

休みが取れたので、ANAで台湾行きの特典航空券のキャンセル待ちを入れる。

運良く、復路のチケットが取れた。往路は、ネットで関空経由高雄行きのエバー航空ビジネスクラスに空きを見つけたので、電話にて経路変更し、確保。

4泊5日
往路:札幌発、関空経由高雄 関空ー高雄はエバー航空でビジネスクラス 
復路:台北(松山)発、羽田経由札幌 全日空エコノミークラス
30,000マイル+燃油サーチャージ等(24,950円)

前回、台北近郊を観光したので、
今回は、4日間の高雄観光と台湾新幹線の利用。

1日目
早朝便のため車を新千歳空港C駐車場に停めシャトルバスで空港へ。

90分前のチェックインだと思い、国際線乗り継ぎの窓口に並ぶが一向に開く気配がない。地上係員に聞くと国内線に合わせて60分前と言われ他所で時間を潰す。

60分前 手荷物を預け、ANA ラウンジへ。
カプチーノとトマトジュースで一休み。
機乗のために、ラウンジを出たところで地上係員に呼び止められ、機体の整備不良のため、遅れもしくは欠航になりそうとのこと。その場合は、乗り継ぎに間に合わないため、ほかのルートを探してくれるようだが、福岡経由の夜遅くに着く便になるかもしれないとのこと。
もうしばらく、ラウンジで待つことになる。

運良く、整備がすみ、15分遅れくらいで出発できた。
乗り継ぎの時間が多少短くなるが、まあ問題はない。
ただ、プライオリティ・パスを使って、『ぼてじゅう』で食事と思っていたが、ちょっと無理そうだ。残念。

関西空港のANAラウンジで遅めの朝食。カレーと焼きそば。
娘から、ANAラウンジのカレーは美味しいと聞いていたが、確かにおいしい。
往路のエバー航空は、ビジネスクラスなので、食べすぎないように気をつけていたが、結構お腹いっぱいだ。

使用機のチェックを忘れたが(たぶんエアバスA321)、エバー航空のビジネスは少し残念だった。復路の国内線の使用機777-200のプレミアムクラスのシートに比べるとちょっとしょぼい。食事も和食にしたせいか、味はいまいち。でも量はたっぷりあり、デザートのハーゲンダッツアイスクリームも一回り大きく、またまたお腹いっぱい。

台湾 高雄到着後、現金2万円を空港の銀行で換金し、楽天モバイルを海外ローミングに切り替える。なんとか使えそうだったので、SIMの契約をしなかったが、これが失敗だった。LINEは特に問題なかったが、MapやHPは通信速度が遅すぎて殆ど開かない。昔ながらの嗅覚で高雄の街を歩くことになった。おかげで、APP『JAL Wellness&Travel』は、毎日2万歩を超えてマイルを貯めることができた。

高雄空港で悠遊卡(悠遊カード)に100ドルチャージし、MRTで左營(高鐵)へ。
ここで、台湾在住の息子と待ち合わせ。
左營駅に着くと、高雄発祥で日本未上陸の樺達奶茶(ホアダーナイチャ)を見つけ、早速タピオカミルクティーを注文。タピオカはもちもち大きめ、甘さはちょうどいいくらいで台湾のウエルカムドリンクに相応しい飲み物だった。

匂いやまとわりつく湿気など、高雄はとても東南アジアっぽい。少々ドブ臭い匂いだが、嫌いではない。ちょっとしたワクワク感が出てくる。夜は早速MRTで二駅離れた夜市に出かける。

巨蛋にある瑞豊夜市は、かなりでかい。まるでお祭りだ。評判の木瓜(パパイヤ)ミルクを飲みながら、とりあえず、うまそうなものを探す。

長い行列ができている福建麺の店で並ぶ。アメリカのドラマに出てくるようなテイクアウトの焼きそばのようだ。海鮮が入っていて、とてもうまい。

夜市からの帰り際に、息子おすすめのバターinメロンパンを買って食べる。ホクホクのパンに冷たいバターの板が挟まっていて絶品。

2日目
お腹も減ったので、朝の遅い息子を置いて、一足先に街に出る。息子おすすめの肉饅頭の露店で肉饅頭を買ってみる。もちもちの皮にたっぷり肉汁が詰まった肉餡が入っており、これもうまい。街にはとにかくバイクが多く、いたるところに整然と停めてある。

昼前に息子と待ち合わせて、昼ごはんと観光。
昼食には、鴨肉飯で有名な『鴨肉珍』。これも結構な行列。評判の鴨肉飯と下水湯と書かれた鴨の内臓のスープ、そして空芯菜。どれも確かにうまい。

食後に少々お腹はいっぱいだったものの、外せないかき氷。季節は少し外れてしまったが、マンゴーのふわふわの雪花氷を『高雄婆婆』でいただく。うまいしでかい。店の中は冷房が効いていたので、後半は寒くなってしまった。

その後、港の方に向かい、高雄で最もおしゃれな芸術特區を散策。壁に描かれた様々な絵やおしゃれな店舗など夜市で感じた東南アジア感とは全くの別物。

しばらく、芸術特區を散策した後、世界で最も美しい地下鉄の駅『美麗島駅』のステンドグラスを見学し、夕食を求めて移動。今宵の夕食は、海鮮料理。

漁村海鮮料理店でイカとエビを選んで焼いてもらう。店の親父のはからいで台湾の生ビール(18ビール)と、しじみの醤油漬けをだしてくれる。ビールもなかなかうまく、またこの醤油漬けが合う。なぜか、店の親父は息子と話が弾み、一歳年上の私に「先輩先輩」と自分が飲んでいるビールをどんどんついでくれる。海鮮チャーハンも絶品。イカ焼きには、なぜかたっぷりのわさびとわさびマヨネーズがついていた。

帰りに近くの自強夜市に寄り道をしてから帰る。ここで飲んだスイカジュースは、若干薄めではあるが、スイカそのものの美味しさもあってグッド。東南アジアでは外せないスイカジュース。

3日目
朝から近くを散策し、見つけた仁武天公廟を見学&お参り。その後、昨日と同じ店で朝食を買う。今日は高菜饅頭と焼餃子、近くのお茶屋で密桃奶茶(モモミルクティー)を購入し、公園で朝食。

左營駅前からバスに乗って、高雄で最も有名な龍虎塔に出かける。あいにく龍虎塔は改修中で周りに緑の網が張られていたが、まずは幸せを呼び込むために龍の口から入り、虎の口から出てくる。そのまま蓮池の周りを散歩し、寺院を見てまわる。

池の周りは広く、歩き疲れて、ベンチで昼寝。近くの木の上にはリスが数匹走り回っている。近くに市場のような場所を見つけ、昼食。関東煮の露店で、揚げ物も売っている。関東煮を適当に選び、サンマのフライも一緒に食べる。関東煮のだしは自由にもらっていいらしく、うまいスープ付き。

バスに乗って左營駅前に戻りたかったが、とにかくバスがない。仕方なく、適当にMRTの駅に向かうバスに乗ることにする。なんとか左營駅前に戻り、今度はバスに乗って大学や遊園地やショッピングモールが一つになった義大世界へ。アウトレットモールや大学構内を散策し、バスで帰ろうとするが、ほぼ1時間に1本のバスに満員で乗れず。ここでも仕方なく違うMRTの駅に向かうバスに適当の乗って高雄車站になんとか戻ることができた。

夕食を高級火鍋料理屋で予約していたので、その前にスタバで息子と待ち合わせ。少し早かったが、疲れたので本を読みながら休憩。時間があるので、飲み物は一番大きいベンティを頼むと何故か2杯渡された。店員に言うと「台湾では、1個頼めばもう1個」と自慢気に言われた。どうやらキャンペーンだったようだ。

スタバで息子と落ち合い火鍋料理店へ。予約時間より少し早かったので、時間つぶしに近くの夜市をみる。マレーシアでは何度か食べたカエルの粥だが、露天にカエルが並べてあるのは少々グロテスクだ。

予約でいっぱいのかなりの人気店『無老鍋』。鴛鴦鍋という2種類の味を楽しめる鍋に海鮮、お肉、アイス豆腐、玉子餃子をつける。白い方は豆乳、赤い方は漢方鍋なのだが、味はカレーだった。鴨血は無料でついてきて、最初からたくさん入っている。おかわりも自由で3,4回「おかわりいらないか?」と勧めれた。プルンとして結構イケるのだが、あまり量を食べるものではないかな。ご飯やタレは自分でとってくるスタイルだった。たしかにうまいが、少々高め。

4日目
いつものお店で朝食をと思ったが、休み。せっかくなので、MRTに乗って、行列ができる美味しい朝食屋と評判の店に行ってみるが、ここも休み。仕方なく、適当に店を探して、今まで食べていなかった蛋餅(ダンピン)と豆乳で朝食。

そのまま街を散歩。愛河を渡り、一昨日行った、芸術特區を抜けてフェリーターミナルへ。

フェリーターミナルからフェリーで旗津島に渡る。地元の人達はバイクでフェリーに乗って島に渡っていた。島は歩いて回るには広すぎる。フェリー降り場には、レンタルの2人乗りや4人乗りの自転車がおいてあったが、とりあえずテクテクと歩き出す。

フェリーの船着き場の反対の海岸線まで歩いてみると、海水浴場が広がっていた。人は全くいなかったが…..。海岸にあった東屋でしばらく昼寝。

お腹も減ってきたので、金柑檸檬ジュースを買って、近くの学生たちで賑わっている店に入り、焼肉飯を注文。豚の角煮を串に差したものと野菜がのった丼だ。どうやら地元の人気店で安くてうまい。

フェリーで戻って来ると、フェリーの船着き場はかき氷店が立ち並んでいることで有名な地区だった。でかいかき氷で有名な店の向かいにある、地元の人に人気とネットにあった福泉冰店に入り、かき氷を注文。メニューをよく見なかったせいで間違って、雪花冰ではなく普通のかき氷を頼んでしまった。これはこれで美味しかったが、少々残念。

夜は再び息子と待ち合わせ、息子推奨の飲茶の店に行く。地元の人が行く大衆料理店だがかなり美味かった。小籠包、海老餃子、牛肉麵、空芯菜でお腹いっぱいになる。

瑞豊夜市に近かったので、帰りに少し寄って今回の旅行で食べていなかった豆腐花を食べて、帰路へ。

5日目
朝、息子と別れて高鐵左營站へ。事前にネットで外国人割引で予約し、チケットを発券してもらっているが、少し時間が早かったので前の便に代えてもらおうとしたが、あいにく空きがなく、暫く駅で待つことになる。

いつもの朝飯の店で買っておいたパンと駅のコンビニで買ったパック入りの木瓜牛乳(パパイヤミルク)をひろげ、ベンチで朝食。台北まで2時間弱。今回は荷物もあるので、台北市内は素通りし、松山空港に直行。

空港のラウンジでゆっくりし、飛行機へ。復路は、羽田経由のANA便エコノミークラス。案外食事も美味しく、映画は、インディージョーンズ最新作がやっていて快適に過ごせた。残念なのは時間が短く映画のラスト10分ほどを見ることができなかったこと。

附録 スーパーマーケットで買った今回のお土産たち

スーパーで購入したパイナップルケーキは、思った以上に美味しかった。値段も安いし、かなりおすすめ。難点は個包装ではないこと。

饅頭は、ズシンと重く胃に貯まる。薄味で噛むほど味が出てくるので食事としてはかなりいい。おにぎりのような位置づけかな。

高雄市内のMRTの駅

  1. 赤線:R3小港、R4高雄國際機場、R4A草衙、R5前鎮高中(五甲)、R6凱旋、R7獅甲(勞工公園)、R8三多商圈、R9中央公園、R11高雄車站、R12後驛(高醫大)、R13凹子底、R14巨蛋(三民家商)、R15生態園區、R16左營(高鐵)、R17世運(國家體育園區)、R18油廠國小(中山大學附中)、R19楠梓加工區、R20後勁、R21都會公園、R22青埔、R22A橋頭糖廠、R23橋頭火車站、R24南岡山。
  2. オレンジ線:O1西子灣(中山大學)、O2鹽埕埔、O4市議會(舊址)、R10/O5美麗島、O6信義國小、O7文化中心、O8五塊厝、O9技擊館、O10衛武營、O11鳳山西站(高雄市議會)、O12鳳山、O13大東、O14鳳山國中、OT1大寮(前庄)

東北の旅(龍泉洞、花巻温泉、中尊寺、松島)

何年ぶりかの家族旅行。フェリーを使い、苫小牧から八戸、花巻、仙台、そして苫小牧に戻ってくるルート。龍泉洞、中尊寺そして花巻温泉泊が今回のメイン。台風7号を警戒しながらの旅だったが、なんとか天気にも恵まれ初期の行程をこなすことができた。

1日目
出航の1時間半前には苫小牧港に到着。

苫小牧23:59発のシルバーフェリー(シルバーブリーズ号)の2等室の雑魚寝で八戸へ。八戸には翌7:30着。

フェリーの利用は久しぶりだ。2等室の雑魚寝は悪くないが、若干肌寒く、毛布を借りると有料だった。展望風呂があったが、乗船時間が短いため、とても混み合っていた。洗い場が少なく、ゆっくり入れるような状況ではなかったのが残念。乗船時はドライバーのみ、下船時は全員乗車しての移動。

2日目
八戸上陸後、途中の道の駅「いわて北三陸」で休憩しながら軽く朝食を摂り、10:00に龍泉洞着。透明感、神秘性など予想通り素晴らしい景観を味わえた。

龍泉洞地サイダーを飲み、昼食にネットで調べた「中華そば たらふく」まで車を走らせる。狭い道路に面した店だが、着いたときには隣の家を超える辺りまで行列。炎天下でしばらく待って食べた中華そばはたしかに美味かったが、麺がカップヌードルのようだった。具と麺のバランスを考えるともう少し麺が少なくても良かったかな。

浄土ヶ浜を散歩し、今晩の宿泊地 「花巻温泉 結びの宿愛隣館」へ17:00頃着。
楽しみにしていた、風呂と食事を堪能。夕食は、先附が4品あり、その後はビュフェ。品数はそんなに多くはないが、一品一品とても美味しかった。

3日目
朝風呂のあと、朝食をたらふくいただき、コーヒーを持って庭園を軽く散歩。入っていなかった露天風呂「川の湯」があったので、慌てて入りに行く。川に近く開放感があり、露天らしくてとてもいい風呂だった。

花巻温泉を出て、昨日来るときに見つけた「昭和の学校」に立ち寄る。閉校になった小学校に昭和のものを所狭して飾ってあった。親は懐かしみ、子は珍しいがって結構楽しかった。飾ってあったオートバイはうちのバイクより新しかった。

昼前に中尊寺に着き、込み合う前にまず昼食。中尊寺餅やそばを食べさせてくれる「夢乃風」へ。とても美味しかった。帰るときには外は行列になっていた。車は中尊寺より毛越寺の駐車場が空いていると情報を得たので、毛越寺に車を止め、バスで中尊寺へ。中尊寺を参拝後、歩いて毛越寺に戻ってくるが、暑くて暑くて大変だった。お盆だったので旅行中常に暑かったが、このときは最高に暑かった。毛越寺で食べたずんだアイスクリームで救われた。

厳美渓(げんびけい)、猊鼻渓(げいびけい)とまわる。残念ながら厳美渓の川渡りの団子はお休みで、猊鼻渓の川下りはもう時間が終わっていたが、厳美渓では、吊り橋の散歩など景色を楽しみ、猊鼻渓では、名物の鮎の塩焼きやコロッケを食す。

この日の宿は、〇〇の東横イン。夕食は近くの焼き鳥屋。

4日目
夕方、仙台港からフェリーに乗るので、本日は松島観光、仙台で牛タンそしてIKEA。

松島を見下ろすなら、大高森山頂からがいいらしいと聞き、軽くトレッキング。暑さもあり、結構きつい。若干雲っていたため、壮観な景色とまではいかなかったが、「まつしまや ああまつしまや まつしまや」を味わい、今度は松島の中から景色を楽しむため福浦橋へ。

途中、海鮮を食べさせてくれる店に立ち寄り、イカ焼きやホタテ焼きを食べる。

仙台に向かう途中、牛タン屋に予約の電話を入れるが予約を受けてもらえず、来店して名前を書かなければならないらしい。なんと現在4時間待ちとのこと。仕方なく、仙台郊外の牛タン炭治郎に行くが名前を書くとやはり4時間待ちとのこと。仕方なく、先にIKEAへ。フェリーの時間に間に合わなければ、牛タンはおあずけになりそうだ。

急ぎ足で広いIKEAの店内を見て回る。ここでハプニング。まさかの迷子。カートを押しながらほぼ同じペースでみんながついてきていたと思っていたのだが、1階に降り、キャッシャーまで来たら妻がいない。先に歩いていたと思っていたので、子どもたちと相談し、支払いを済ませ、駐車場へのエレベーターの前で子どもを待たせ、自分は車に行って先に荷物を積み込んでおく。牛タンを食べるには時間がないからと言ってあっただが、いつまで経っても来ない。携帯も繋がらない。逆走はできないので、もう一度2階から走って見に行こうかと思っていたら、ようやく携帯が繋がり「みんなどこ?」。妻は自分が一番前にいると思っていたので、先に1階に降りてしまったと思い、エスカレーターの下でずっと待っていたらしい。さらに携帯も繋がらず、にっちもさっちもいかなかったとのこと。みんなで大笑い。

牛タン炭治郎に戻ると何故かガラガラ。待つ人もいなくてすぐに通してもらえた。どうやら昼の客はすべて裁き切ったあとで、いつもは営業していない夕方前の時間だったらしく、すぐに通してもらえて、念願の本場仙台の牛タンにありつくことができた。とても美味。

満腹になって、仙台港へ。今回は15時間ほど乗船するので、船の中で少しゆっくりできる。2等室の雑魚寝だけれど、船の旅を楽しもう。

太平洋フェリーの「きそ」日本一のフェリーと謳うだけあって、なかなか快適。展望風呂もゆったりしていて、のんびり湯に浸かることができた。ラウンジや食堂も充実している。残念がら寝てしまってみることができなかったが、映画も上映されていた。2等室も間引きされているので、かなりゆったりしている。太平洋フェリーは毛布付きだった。

5日目
朝風呂に入り、買っていったおにぎりで軽く朝食。下船時の乗車はドライバーのみで、船を降りてから家族を拾い一路我が家へ。久しぶりに家族で旅行し、楽しい時間を過ごすことができた。子どもたちも成人し、次はいつ行けるだろうか。

総走行距離 750km