おやじ通信 Vol.001 2023.2.8

「他人と過去は変えられない。変えられるのは自分と未来」
「不動心」 松井秀喜/著 

この言葉は、心理学者エリック・バーン氏の言葉のようです。

「他人と過去は変えられないから仕方ないんだ」と言うよりは、

他人にこうして欲しいと望んでも他人を変えることはできない。自分を変えることで他人の反応も変わり、より良い方向に持っていくことができる。

未来も自分の考え方や取り組み方で変えていくことができる。自分の思い描く理想に近づいてくれば、自ずと過去のあり方、存在意義も変わってくると思う。

結果的に他人も過去も変わっていなくても、自分との関わりが変わってくるはず。だから、他人と過去は変えられずとも自分にとっての意義が大きく違ってくる。

まずは、自分ができることをやってみよう。

アキレス腱断裂日記

5月下旬 ある日

アキレス腱を切った。30、40代を通り越し、もう大丈夫とたかを括っていたのに。しかもバスケットボールをしていて切った。選手に混ざり、パスをもらうために動こうとした瞬間、バキッとかなり大きい音がして体制が崩れ、立ち上がれなかった。前にいた選手に「後ろに誰かいるか?」と聞くと「いいえ」と言われ、アキレス腱を切ったと確信した。左足に誰かがぶつかったような衝撃があった。58にもなり、バスケットでアキレス腱を切ったなんて恥ずかしくてしょうがない。自転車で帰ろうとしたが、うまく立ち上がれず、同僚に送ってもらうことになった。しかも自転車は違う同僚が家まで運んでくれた。夜間診療に行ってもどうせ遠いし、簡単な診察だけで、また出直さないといけないだろうと思い、明日まで待つことにした。腫れもあまりなかったようなので、テーピングと包帯で足首を曲げないように固定して冷やしながら。

1日目

朝8:30受付開始の近所の整形外科に、少し早めに8:00に着くように自転車のサドルを息子に下げてもらい、汗をかきながら自転車に乗れない小さい子のように右足だけで漕いでいった。病院に入ると、「夜間診療の方ですか?」と受付のお姉さんに聞かれた。『なんと夜間診療はここだったのか?そんなことなら昨夜来ておけばよかった。』と思いながら、専門医に診てもらうためには一般診療の方がいいだろうと思い、受付まで待つことにする。予約なしなので一時間半ほど待たされ、レントゲンを撮って、診察してくれた医者が、「明日が足の専門の院長の診察日なので、明日もう一度来てください。100%切れてると思いますので、診察してもらって、手術と入院の相談をしてください。」と言われた。これだったら夜間診療と同じでしょ。しかも「明日の予約はいっぱいなので、予約なしで診てもらうためには、今日のように朝早く来てください。」とのこと。マジですか?シーネで固定し、松葉杖を渡されたので、自転車は置いて帰り、後で息子に取りに来てもらった。昼から車で仕事に出かけ、慣れない松葉杖での立ち仕事や階段の昇り降りで、太ももの付け根の裏が痛みだした。

2日目

「100%バッツリ切れてますね。」「入院は1~2週間、手術した方が早く治るよ。手術は、6月1日だから前日入院。」結構待って、ようやく診察してもらった院長に言われた。その後は、看護師さんと入院の打ち合わせや血液検査、尿検査。家に帰って少し休み、再び車で仕事へ。日を追うごとにきつくなる。早く手術をして欲しいものだ。

3日目

バスケットの大会へ、車で乗りつける。知り合いからどうしたの?と聞かれ「アキレス腱を切りました。」と同じ問答を8回ばかり繰り返した。周りに恥をさんざん晒し、試合には負けた。とりあえずこの土日は少しでも休もう。

4日目

ゆっくり休みたかったが、冷静に考えるとこの後1~2週間空けるだけの用意を月曜だけでは間に合わないと判断し、休日出勤。10時から出かけ15時頃ようやく目処がたった。無理してもやっておいて本当に良かった。

5日目

昨日出勤したおかげで、慌てず仕事を同僚に頼めた。夜10時、「壁で囲まれた狭い部屋だけど、ブルーハワイ片手にしばらくリゾート満喫してきます。あとよろしく。」と退勤。

6日目

保護者の妻を同伴し、病院へ。PCR検査で待たされ、院長説明で待たされ、ようやく病室へ。イャー本当に病院というのは待たされるところだ。病室に入るとすぐに昼食。メインは、豆腐。さすが病院食。そういえば周りを見てもじいさんばあさんばっかりだ。スポーツ整形だったら、もっと力がつくものを食べられたかな。とちょっと後悔。まぁガンガンリハビリさせられるより、ゆっくり休養できた方がいいかな。夜9時からは明日の手術のために絶食。朝一からの手術でなんとなく落ち着かないが、TVerで昔のドラマ『続 最後から二番目の恋』第1話を見つけた。早速、日常を離れて休養っぽいなと思い、楽しむ。

7日目

朝6:30からは水も飲めず。7:30から点滴が始まり、いよいよ手術が近づいてきた。注射で看護師さんを困らせたことがない優良血管なのに、今回は、注射針を刺した後グリグリと血管を弄られ、腫れてきたので、刺し直し。なんだか嫌な気分だ。全身麻酔と腰椎麻酔、左足の神経ブロックの3段階なので、筋弛緩で漏らしたら嫌だなと思い、朝一でうんこにも行っておく。9:30手術で、手術帽をかぶって松葉杖をついて、いざ手術室へ。不覚にも手術台に横になったところまでしか意識が残っていない。気がついたら病室だった。尿に管が挿され下半身は麻酔で動かず。あのあと何があったのか?あまり考えない方が良さそうだ。3時くらいから徐々におチンチンと右足に感覚が戻り始める。そうするとおチンチンに違和感。知らないうちに尿が袋に流れ込んでいく。9時くらいになると左足の神経ブロックも効かなくなり、痛みがで始める。今回は素直に座薬をもらい自分で挿した。寝ようと思うとおチンチンの感覚がかなり戻ってきたと見えて、常におしっこがでているようで落ち着いて寝られない。車椅子を使えば、自分でトイレに行けるからと看護師さんに外して欲しいと頼むが、「自分では動けるつもりでいても、麻酔が残っていると危険なんです。」と拒否される。仕方なくおしっこちびりながら寝ることにするが、人間慣れるもので、ちびりながらも結構ちゃんと寝れた。むしろ外してから漏らさないか心配だ。

8日目

朝一で、尿の管を外してもらう。外す前に、ちびらないようにだと思うが、注射器を管につけて膀胱の中の尿を吸われる。無理矢理だされるおしっこの感覚は、なんとも語れない。そして管を抜かれるときの違和感。抜いてもらってちょっとほっとしたが、なんだかおしっこがでそうな変な感じが残っている。「なんかおしこっがでそうな感じなんですが、気のせいですか?」と聞くと、車椅子を用意してくれて、自分でトイレに行けた。洋式便所に座っておしっこをするが、少しの尿と空気が漏れてきた。「おー、おチンチンからおならだ」などとくだらないこと考えながら、一応ウンコも踏ん張ってみた。こっちからも空気が漏れた。まさか、麻酔で眠っている間に注射器でうんこも抜かれていたのか?

食事の30分前に廊下にボックスに入った食事が運ばれ、看護師さん達が、おしゃべりしながら配膳の準備をする。廊下から「親知らず3本同時に抜くなら全身麻酔って言われたんどよね。さすがに3本同時はね。でも、全身麻酔はしてみたいなぁ。」「手術はおっかないから嫌だけど、軽いので全身麻酔してみたいね。」などと聞こえてくる。昨日、全身麻酔したんですけど。この看護師さん達は、羨ましいと思ってみていたのか?経験者としてはどんなものか教えてあげたい気分だ。寝ている間にうんこを抜かれたのではないかという恐怖と引き換えに、夢も時間の経過も感じない全く無の世界を体感できる。

左足はつけないが、車椅子は松葉杖に比べずっと動きやすい。昔取った杵柄(両足首靭帯縫合時に、しばらく足として利用していた)もあり、狭いとこところも自在に操ることができる。あまりうろちょろすると、看護師さんに台車を見つけた小学生みたいに遊んでいると思われるので、できるだけおとなしくする。しかし、談話室だけは見ておかねばと思いなおし、車椅子に飛び乗り(実際には、両腕プルプル震えながら片足で立ち上がり、バランスをとってお尻を車椅子になんとか移動させる)、軽快にエレベーターの3階のボタンを押す。3階にでて驚いた。4階で過ごしていると、じいさんばあさんばかり、と思っていたが、この3階はもう一世代上だった。これはこの病院の病院食は期待できそうもないと痛感。院長回診の前に婦長さん(他の看護師さんから婦長さんと呼ばれているが、男の人だ。本当は看護師長なんだと思うのだが、昔の名残で婦長さんなのか、見かけは男だがオネエなので婦長さんなのか、確かに所作が若干オネエっぽい気がする)が、ギプスの傷口部分を消毒できるようにカットしにきた。不思議なドリルでギプスは切れても肌はきれないらしい。そうは言われても都合よく肌はきれないなんて納得しがたく、上手く切るから怖がるなと言っているのかと勘ぐりたくなる。アキレス腱周辺なので、うつ伏せになり、切っているところが見えなかったのが不幸中の幸いだった。程なく窓が空いたようで、院長がそこから傷口を確認し、消毒してくれた。

TVerで『続 最後から二番目の恋』第2話を見ようとすると、2話だけない。中井貴一と小泉今日子のやりとりが絶妙で、気分を楽しくさせてくれる素敵なドラマなのだが。3話から6話はあるのに。どうやら2話だけはお金を払わないと見れないようだ。ありきたりのせこい商法に負けたくないので、アマゾンプライムビデオに切り替え、トム・クルーズの「ザ・エージェント」を鑑賞。ベッドは今どき手動のリクライニングだが、ベッドの上でお尻を軸にブレイクダンサーのようにくるっと回転し、足元のレバーを回せば、自由に背もたれの角度を変えられる。左足だけちょっと高くなったオットマンもある。部屋着の肩を濡らしながらも、洗面所で洗髪もでき、徐々にリゾートに近づいていく。インターネットと本と映画。映画は2本目に突入し、なんとなく強くなれそうな『女王 トミュリス』を鑑賞。

9日目

6時起床。体温・血圧を測り、血液検査。少し微睡、8時には、米飯で塩分少なめの部屋食。院長回診のあと昼食に火傷しないように配慮されたちょっとだけ暖かいミートスパゲティ。読書に飽きた頃、スタッフの人がゴムボールとゴムバンドを持ってきてくれて、軽くリハビリという名のスポーツ。ふっと棚の上を見上げると紙おむつ4枚とおむつシートのセットが。誰か間違えて置いてますよっと言うと「これは、手術代に含まれていて、セットでお買い上げになったものです。持って帰って使ってください。」必要だったら使ってからお金を取ればいいじゃん。えっなんで最初からセットになっているの。それって成田空港までの飛行機とったら成田エクスプレス代も含まれているようなものじゃないか。お節介すぎるでしょ。

院長回診で傷口のガーゼを取ったので、シャワーを浴びてもいいとのこと。ただし、介護付きで。売店で足のギプスの周りにつけるビニールを買っておくように言われる。「えーそれこそつけておいてよ」と言いたい。昼すぎに「風呂行くよ」と言われ、替えのパンツに部屋着、そして買ったばかりの足のビニールのカバーを持って、車椅子に乗って連れて行ってもらう。風呂の外で少し待ったのち、中の看護師に引き渡される。アラフォーの看護師だったので、気持ちは少々楽だったが、上着を脱がされ、片足で立ってと言われ立ち上がるといきなりズボンと一緒にパンツもずり下げられた。なかなかパンツを人に脱がされることはないので、ドキッとしたが、そんな素振りを見せるわけにもいかず、平静を装う。大事なところにバサッとタオルをかけられ、車椅子でそのまま浴室へ。「自分で洗える?」と聞かれ、素早く頷いたが、点滴のために左手をビニール袋で包まれていたので、両手を広げて、殿様のように洗って貰えばよかった。とちょっと後悔。ワンハンドで頭と体を洗い、手すりに素早くタオルを巻き付け、片手でタオルを絞る。我ながらなんてできる奴だ。と感心。体を拭き終え、外で待つ看護師に「終わりました。」と言うと、タオルを敷いた車椅子で迎えにきてくれた。変にコソコソ前を隠すのも肝っ玉が小さいみたいで、堂々としているふりをしながらさりげなくタオルを前に置く。忘れてしまっているけど、両足首の靭帯を縫合したときもきっとこんなシチュエーションがあったはずだ。しかも、もっと若い時に。「一人で部屋に帰れるね」と言って渡されたビニール袋の中には、濡れた足のビニールカバーと着替えたパンツが放り込まれていた。いつの間に人が履いていたパンツを袋に入れたんだ。部屋に戻って、そそっとビニールカバーの水滴を拭き取り、ハンガーで吊るす。人が履いていたパンツを入れるより、ビニールカバーを拭いて欲しかったなぁと思うのは間違いか?

10日目

9時就寝、6時起床の生活にも慣れてきた。9時からぐっすり眠り、6時前に起床、体温を測る。

今日の朝食は、ビニール袋に食パン2枚入って、いちごジャム付き。スクランブルエッグやサラダはあったものの、焼かない食パンにジャムをつけて食べるのは小学校の給食以来か。流行りの塩パンとかクロワッサンにならないものか、せめて小学生が、『今日のメニュー』を見てガッツポーズを見せるコッペパンでもよかったのだが。気を取り直してリクライニングを上げて(前述したように身体を反転させ、足元のレバーに手を伸ばし、必死でぐるぐる回すのだが)、アマゾンミュージックで『お勧めサマージャズ(副題:たとえばビーチやプールサイドで、きらめくピアノと波のようなギター、ラテンのリズムで極上のサマージャズ‥)』をチョイスし、しばし微睡む。お気に入りのスタン•ゲッツ『鵞鳥のサンバ』が流れてきたところで、「抗生剤の点滴に来ました。足痛くないですか?」と看護師さんの声が。気分を変えて点滴中ならと、今度は、『あなたにおすすめの『wolfmother』』をイヤフォンからシャンシャンと音が漏れて迷惑にならないように、ボリュームを絞ってかける。

薄汚れた灰色の無機質な壁に囲まれ、僕のベッドからは、隣のビルに狭間れた窓から差し込む光だけが見えた。ベッドの横のどこにでもある安っぽい棚から、文庫にしては少々厚手で持ち運びに不便そうな村上春樹の『遠い太鼓』を手に取って開いた。”誰だって年は取る。それは仕方のないことだ。僕が怖かったのは、あるひとつの時期に達成されるべき何かが達成されないままに終わってしまうことだった。それは仕方のないことではない。 それも、僕が外国に出ようと思った理由のひとつだった。日本にいると、日常にかまけているうちに、だらだらとメリハリなく歳を取ってしまいそうな気がした。そしてそうしているうちに何かが失われてしまいそうに思えた。僕は、言うなれば、本当にありありした、手応えのある生の時間を自分の手の中に欲しかったし、それは日本にいては果たしえないことであるように感じたのだ。”この長い文章が、僕の頭の中をメリーゴーランドのようにぐるぐると回り、お経を書き込んだ芳一の身体ように僕の脳みそに貼りついていった。確かにだらだらと歳をとった。病室の外から、若い看護師たちの無邪気な笑い声が聞こえてくる。僕が20年来愛用している、タグホイヤーの長短の刀剣のような針が、もうすぐ正午になろうとしていた。僕は自然に車椅子に座り、トイレに向かっていた。食事の前にトイレを済ませておこうと。

今日は土曜日で、外来患者はいないので、エレベーターで1階まで小冒険に出かける。暖かいコーヒーとCokeOnが使える自販機を見つけ、久しぶりに暖かいカフェモカを飲んだ。なぜかひとりだけ待合室に座っているおばさんがいて、「3階に母が入院しているだけど、この携帯電話が音が鳴るようにできなくて困っているんです。ちょっと見てもらえませんか。」と声をかけられた。おいおい、コロナ禍で身内とも面会できないのに、こんなとこで知らないおばさんと面会している場合じゃない。と思いながらも断れず、古い二つ折りの携帯電話をいろいろいじってみるが、音が鳴るようにできず、謝まりながら「病院に電話して、3階に回してもらったほうがいいですよ。」と言ってエレベーターに乗る。大体、病室でなっても電話に出れないし、周りの人が迷惑するだけだろうに。

ベッドに戻って、暇なのでリハビリの先生が置いていったゴムバンドで、右足の筋トレ。5~6回屈伸を繰り返したところで、いきなりブチッときれた。「ウォーなんですか、これー、びっくりした。めっちゃ危ないやん。」と出川哲郎のように大袈裟なリアクションをしてしまった。このところ、アキレス腱といい、ゴムといいよく切れる。これは厄払いが必要だな。そういえば前厄だったような。

11日目

スクールバスのようなものに乗って移動。一緒にいるのは、知らない人もたくさんいるが、どうやら高校の同級生だ。なぜか、みんな私立〇〇学園みたいなブレザーにワッペンがついたような制服を着ている。並ばされくじを引いて、6、7人の小グループに分かれ小部屋で飲み会。くじ運よく、仲の良い友人3人とあとはよく知らない人だが、向こうは我々のことをよく知っているようだった。楽しく歓談しているうちに尿意をもよおし、部屋を出てトイレに向かうが、見当たらず。裏に置いてあった段ボール箱に放尿していると、知らない人に正面から声をかけられる。 そこで目が覚めた。時間は5時45分。起床時間は6時なので少し早いが、6時なると洗面所に人が溢れ、車椅子ではその後ろにあるトイレに行けなくなってしまう。洗面所の使用規則に『洗面所では、21時から6時の間は、使用と談話は他の患者様に迷惑になりますので控えてください。』とあるからだ。大急ぎで車椅子に乗り、トイレに向かう。洗面所は、廊下の片側に4台の洗面台と1台のシャワー付き洗面台、そして洗濯機が並んでいる。反対側には、男子トイレと女子トイレが一つずつ。男子トイレは、小便器と大便器がセットになった個室で、なんとワンフロアーにひとつだ。通路は狭く洗面台に人がいると、車椅子では通りづらい。気が利いた人で前に寄ってくれれば、なんとか通れるが車椅子や片腕をつったじいさんばあさんなので、そんなことは期待できない。一応、裏側に看護師付き添いの介護付きトイレがふたつある。車椅子利用なので使えなくもないが、ドアの前に看護師に立たれでもしたら落ち着いてできない。となれば、いくら車椅子を自在に操れても、トイレに行くには綿密な計画が必要になる。僕の腸は働きもので、朝食をとるとすぐに働き始める。温泉旅館で朝食ビュッフェをゆっくり楽しんでいると、必ず中座しなければならなくなるほどだ。オーバーワークで、サボることをしないうえ、じっと我慢することもできない。ことは急を要すこともあり、計画性や敏捷性、さらにはBプランを立てておく必要がある。そこで、洗面所が空き、朝食が運ばれてくる間の7時から7時30分の空白の時間に、まずは用を足す。そうすれば朝食後に歯磨きでごった返す時間くらいは、腸も堪えてくれるはずだ。この作戦は功を奏している はずだった。今朝までは・・・。油断した。策士策に溺れるとはこのことか。朝食についてきたパックの牛乳を半分のみ、そこに『開栓後は、冷蔵庫に保管し、早めにお飲みください。』とラベルのついた、棚に置きっぱなしだった開栓後5日ほどたったアイスコーヒーを継ぎ足し、アイスカフェオレにして飲んだ。腸にとっては、モンスターにユンケル足して飲ませたようなものか。俄然、働きだした。洗面所からは、歯磨きしながら世間話しているばあさんたちの声が、響き渡っている。いつまで歯磨きしてんだー。腸よ。少し休んでくれ。休んでいいんだよ。だめか。仕方ないBプランだ。

12日目

昨夜、なんとなく寝付けなかったせいか、6時の起床の音楽で目が覚めた。洗面所からは、すでにばあさんたちの声が聞こえてくる。「この近所に住んでいるですよ。」「へー、5丁先ですか。」と多分、全く必要ないであろう情報のやり取りをしている。今朝の牛乳は、冷たいまま流し込まないように、少し時間をおいてゆっくり飲んだ。おかげで腸は、シーズンオフのリゾートホテルの従業員のような働きをしてくれた。本日も要介護者の風呂の日だ。今日の看護師さんは、服を勝手にひっぺがさず、「じゃぁ、服脱いでここに入れてください。と言われカゴを差し出してくれた。前回のこともあるので、上着を脱ぎ、片足で立ち上がって、ズボンとパンツを一気に脱ぎ、車椅子に座ろうとすると、後ろにいた看護師さんが、まるで餅つきの臼の中で餅をうごかす人みたいに、お尻が車椅子に着く前に素早くタオルを投げ入れた。そして、クスッと笑いながら、「素早いんですね。」これでは、早く風呂に入りたくて、パンツごと一気に脱ぎ捨てる小学生みたいではないか。

昼からは、クラブメッドさながら、専属のトレーナーによる、マッサージと筋トレ、そして平行棒で片足での歩行練習。

13日目

いつもと同じ朝を迎える。午前中暇だったので、専属トレーナーから新しく借りなおしたゴムで筋トレ。ベッドの上で腕立て伏せなんかもしてみる。ゴムをベッドに引っ掛けてトレーニング中に専属トレーナーが顔をだした。なんと、今日は午前中にリハビリだ。単調にならないように変化をつけてくれているのか、ただ単にこの時間が空いていたのか。今日は左足を上げたままでの松葉杖の歩行練習もあった。「上手いね」とお褒めの言葉もいただいた。昼食後にいつものように食後の薬を飲んだが、飲んでいる薬はロキソニンで痛み止めだ。特に痛みももうないので、昼食を下げにきてくれた茶髪の若い看護師さんに「この薬、痛み止めですけど、まだ飲んでいたほうがいいですか?」と聞くと、面倒臭そうな顔で、「飲んでるから痛くないのかもしれないしー、飲んでたほうがいいんじゃないですかー。」だって。別にあなたの個人的な感想を聞いているわけではなく、医者の判断を仰ぎたっかのだが、この手の輩には言っても通じないと思い、諦める。こうやって薬漬けになっていくのか。運よく、しばらくしてから院長回診があったので、薬のことを聞くと、「痛くないなら飲む必要ないですよ。痛い時だけ飲んでください。」と医学的見地からの、適切な判断をいただいた。

入院して1週間経ち、生活に目新しさも無くなってきたので、少し同室の方の話をしておこう。4人部屋の入り口から入って左側に僕の生息地はあるのだが、入り口側右側の方は、右足骨折でかれこれ5週間も入院されている、この道のプロだ。温水洋一氏に眉毛から上がそっくりなので、僕は内緒で『ぬっくん』と呼んでいる。ぬっくんは、GWの初日に足を折ってしまい、職場から顰蹙をかったといっていた。職場の同僚からのプレッシャーを恐れ、入院してから連絡を絶っているそうだ。ぬっくんが、復帰後、同僚たちに受け入れてもらえうことを祈念します。ぬっくんは、先週のレントゲン検査の結果、担当医から「ひっつくまで、まだもう少しかかるね。」と言われショックを受けていた。ぬっくんは、ある夜、寝言で「まゆみ」と言っていたので、見かけによらず愛妻家なんだ、それで早く帰りたかったのか、などと思っていた。だが、次の夜に「あゆみ」。あれっ、聞き間違いかなと思っていると、「あいちゃん」とか「きよみ」「えつこ」果ては、日中にまで隣のベッドから、次々と新しい女の子の名前を呟いているのが聞こえてくる。恐るべし、ぬっくん。とても不可解な隣人だ。

僕の生息側の窓側には、朝はきちんと髭を剃り、食事後はすぐに歯磨きに行き、売店が開く10時に新聞を買いに行くじいさんが、右腕を吊って入っている。入室時に挨拶を交わし、名前交換をしたが、なぜここにいるのか、どんな怪我かは定かではない。僕の入室の翌日、看護師さんに「昨日はよく眠れました?」とありきたりな質問をされ、「いいえ、一昨日までは、寝れていたんだけど、・・・ボソボソ」。こういう質問は日常の挨拶みたいなもので、真面目な返事を期待しているわけではないんだよ。「ええ、まあ」とかいっておけばいいのに。これでは、僕のいびきのせいで眠れなかったと言わんばかりではないか。「わかった。ちょっと相談してみるね。もう一日様子見てね。」と看護師がいいながらでて行った。

ぬっくんの窓側は空いていたが、昨日29歳の若者が、左足アキレス腱を切って入院してきた。本日手術だ。彼は、やりたくもない職場の朝野球で球を拾いに行こうとして切れたと言っていた。29歳の彼は、球を拾いに行こうとしただけだ。倍も生きている58歳の僕は、パスを受けようとして動いた瞬間だ。勝ったな。

14日目

その事件は、起こるべくして起こった。話せば長い長いロングストーリーだが、一瞬の出来事だった。まだ夜が明けぬ4時のことだ。物音で目が覚めた。斜向かいの若者は、昨日アキレス腱縫合手術を施し、1週間前の僕と同じ経過を辿っている。彼は、朝4時に尿管の違和感を訴え、ナースコールをした。実は、一昨日の夜、就寝前に検温に来た看護師は、僕に「日中は車椅子を自由に使っていると思いますが、夜は危ないので、使えるかどうかのテストをします。就寝時間中に、トイレに行きたくなったら、必ずナースコールしてください。テストに合格したら、就寝時間中も自分でトイレに行っていいですから。」鳥じゃないんだから、少し暗くなったからって何が変わるのかわからない、いちいちナースコールするの面倒くさい。しかも、今までこんなこと言われたこともなく、普通に夜にトイレに行っていたのだから、『この看護師、変なところに厳しいな。今晩だけ我慢しておこう。』と、その夜は、トイレにも行かず、ぐっすり寝て過ごした。なのに昨日の夜、違う夜勤の看護師に同じことを言われた。しかも、去り際に引き返してきて、「テストに合格するまで、勝手に使わないように車椅子を外に出しておきますね。」と、部屋の外に持ち出してしまった。その時の僕の顔は、『ドナドナドーナドーナー、売られていくよー』まるで母牛から離され売られていく子牛のような顔をしていただろう。話は戻るが、もう一日ぐっすり寝て耐えようと思っていたのに、4時に目を覚ましてしまったのだ。斜向かいの若者は、案の定、尿から管を外した後、残尿感があると言ってトイレに連れ出してもらった。僕も就寝前の一杯の水のせいか尿意を催し、ナースコールをした。看護師が見ている前で、運ばれてきた車椅子に乗って、トイレに行った。帰ってくるまでずっと監視されていた。合格だった。晴れて合格し、車椅子が再び充てがわれたのだが、車椅子が代わってしまっていたのだ。6日ほど愛用してきた車椅子が代わってしまったのだ。まるで、小さい子が、母親に手を繋がれてデパートにいき、おもちゃに気を引かれ、ちょと手を離したが、迷子になってはだめだと思い慌てて手を握って見上げると違う人だったみたいな。察するに、斜向かいの青年にMy車椅子が使われてしまったのだ。コロナ禍の中、ベッドはあれだけ消毒してから、次の人が使っているのに車椅子はいいのか。まぁ、分別のある大人なので、車椅子が代わったくらい、さらっと流してしまえるので全く問題ないのだが。

15日目

入院してから10日目。院長回診時に退院の日取りについて聞いてみる。術後2週間で抜糸し、歩けるギプスに替えてから、とのこと。水曜手術だったので、来週水曜の午前中に帰れるかと聞くと、「無理だね!その後の歩行練習後だから木か金だね。」やっぱり整形の退院は伸びる。予想していたよりもずいぶんかかりそうだ。さすがに10日も経つとずいぶん飽きてきた。リゾートでも同じところにいたら飽きるし、ちょっと観光にでも行きたい気分だ。せめて日光を浴びたい。昼過ぎに掃除のおばさんがわずかな時間だが、カーテンを開けてくれた。僕の生息地までは、太陽は届いてくれないが、ベッドを仕切るカーテン越しに部屋の中が柔らかく明るくなった。気分転換に売店に行ってみた。徐々に気温も上がり、『新しいアイス入りました。』と書いてあった売店の看板を思い出したのだ。アイスクリームケースの中を覗いてみると、カップアイスは、かき氷しか置いていない。さすがにかき氷を食べるほど暑くはないし、棒のアイスを病室に持ち帰って食べるのは、ちょっと厄介だ。だからと言って売店の前で食べるわけにもいかず、目線を変えて隣のケースに入っていた『おいしい低糖質プリン』を買った。この商品名からすると、元来低糖質のプリンは美味しくないのだが、このプリンはすごい工夫をしているので、美味しくなっています。と読み取れる。美味しくない低糖質のプリンを食べたことがあるわけではないが、美味しいと謳っている以上味の改善にかなり自信があるのだろう。期待を持ってプラスティックのスプーンで一さじ口に運んだ。低糖質プリンというのはこういうものか。うむ、普通のプリンが食べたい。

16日目

ほぼいつもと同じ生活。6時起床、検温。8時朝食のあと、9時前後に回診。10時にリハビリ。今日の午後は、介護付き風呂に入れる予定だ。一昨日、洗面所で髪を洗い、昨日はウェットティッシュで体を拭いて着替えをしておく。体の臭いというの自分ではわかりにくいが、頭の臭いは案外よくわかる。ギプスしている方の足の指のあいだが気になるので、気をつけてウェットティッシュで拭うようにしている。退院は早くて木曜、遅いと金曜日が当確なので、職場に電話しておかねば。最初に言われた入院期間は1~2週間が、結局術後2週間になりそうだ。まだあと1週間か。ロングバケーションだ。

17日目

土曜日、外来が休みなので、1階のCokeOnの自動販売機までコーヒーを買いに行く。アイスコーヒーかアイスカフェラテか、それともアイスココアか。明日までに自動販売機でCokeOnを利用すると、もう1本もらえるクーポンがもれなくついてくる。こんなことでもないとわざわざ高い自販機を使うこともないので、今までCokeOnを利用したことがなかったが、1本分で2本ならまあ悪くないか。と思いコーヒーを買いにきた。クーポンでは、CHILL OUTを買うつもりだった。入院してから、今まで歩いて貯めた1本無料クーポンで買ったリラクゼーションドリンクと銘打ったCILL OUTが飲んでみるとなかなか美味しかったからだ。値段も張るので、クーポン利用にはもってこいだ。炭酸で爽快感があり、少し懐かしい感じの濃くなく、さっぱりとした飲み味だ。エナジー系の次の戦略のようだが、やるなコカコーラボトラーズという感じだ。僕の今のような状況には、特にマッチしていた。ただ、今回『カフェのようなミルク味』の帯に惹かれてボタンを押したカフェラテでもらった無料クーポンの有効期間が、1ヶ月ほどあったので、次のためにストックしておくことにする。どうやら今まで利用していなかったおかげで、4週にわたり、自動販売機でCOKE Onを1回利用すると、1本無料クーポンがもらえるようだ。今まで利用していなかった人にとっては、お得感があってとてもいいが、使っていた人がなんだか損した気になってしまうのは良くない。使っていた人には、今まで利用していてありがとうキャンペーンなどをすべきだ。

本日、電気設備の点検のため14時から15時半まで停電とのこと。ナースコールを含め、あらゆるものが使えなくなるとのこと。トイレの水も流れなくなるというので、ちょっと早めに13時頃行っておく。何事も先を見た早め早めの行動が大切だ。今回も13時20分頃、「トイレの水が流れない。」という悲痛な叫びが聞こえてきた。どうやら予定よりも早く給水ポンプが止まったようだ。この一時間半を映画でも見て過ごそうと思っていたが、Wi-Fiが切れた。『そうだよな、Wi-Fiも電気いるしな。』と当たり前のことを忘れていた。不覚。14:05、部屋の電気も突然落ちた。仕方ない。寝るかと思うと窓側から寝息が聞こえてきた。やるなまじめじいさん。と思っている矢先、斜向かいの若者が、ガゴン、ガゴンと引き出しを開ける音に続いて、ガサガサ、ブシュッとお菓子の袋を開け、ペットボトルの栓を開ける無神経な大きな音が聞こえてきた。案の定、寝息は止んだが、3分後、ぬっくんの寝息が。強者だ。強制的なお昼寝時間。保育園だな。この後、15:30になっても水だけは復旧せず。トイレも使えないため地獄絵図。看護師が貯めていた水で流してくれるが、こんなに長くなるとは想定していなかったため、貯水も底をついたようだ。浴槽の水で補充していたようだが、17:30になっても未だ復旧せず。今日中に復旧してくれるのか、入院患者は不安は募るらせているようです。現地災害現場からお伝えいたしました。なんて悠長なことは言ってられない。大丈夫か?18:18、一応トイレが復旧したとの連絡あり。しかし、洗面所の水もまだ不安定で、出が悪いので、看護師が歯磨き用にコップに水を汲んで、みんなに配っていた。そんな中、斜向かいの若者は、洗面所に行って看護師に「洗濯機使っていいですか?」えっと耳を疑ったが、看護師も「ええ、いいですよ。」さらに耳を疑った。しばらくして、違う看護師が来て「えっ、洗濯機使っちゃったんだ。まだ水が不安定だし、でももう動かしてしまったんだもんね。もう止められないね。」そうでしょう。この状況下では。水を節約しながら洗面している人の横で、洗濯機がゴーゴーと音を立てて回っていた。このまま水が完全復旧してくれることを祈るばかりだ。

18日目

日曜日なので、回診もリハビリもなく、かなり時間を持て余す。スマホを見過ぎると首が疲れて、頭が重くなるし、時々は横になって左足を上げてむくみを取る。昨日のCoke On 1本無料チケットでCHILL OUT を買って、『遠い太鼓』を読みながら飲む。アミノ酸の一種でリラックス効果があるというGABAが含まれているらしい。チョコレートの商品名にもあったような。血圧を下げる効果もあるようだ。血圧といえば、入院時、少々高めで気になっていたが、3日目くらいから計らなくなったので、どれくらいかわからない。

病院の隣の建築工事も日曜は休みで静かでいい。娘から送られてきたウィーンの写真の青い空を眺め、しばらく空を眺めていないなと考えながら、洗面所に歯磨きに行くと鏡に写っている僕の顔は結構黒い。しばらく太陽を浴びていないのだけど。

19日目

今日で2週間目だ。当初、入院は長くてもここまでだと思っていたんだが。斜向かいの青年は、入院時には、1週間で退院すると言っていたが、思ったより痛いし、家は2階でこのままでは生活も大変だし、もう少し入院させて欲しいと言って延長してもらっていた。その時の院長の言葉では、「階段を昇降するには3週間だね。」今までの話をまとめて正確にいうと、「術後1週間で、無理してでも退院するならできないことはない。ただし、術後2週間したら抜糸し、松葉杖で歩行する用のギプスに変えるから、ある程度歩行訓練をしておけば、生活に支障ないようにしてから退院できるよ。まあ、入院後3週間見ておけば大丈夫だよ。それまでは、不便を覚悟で退院することは可能だよ。」

週に2回の介護浴の日。シャワーで体を洗うだけだが、とても気持ちがいい。湯船に浸かれたらどんなにいいだろうか。膝下までのギプスだが、ふくらはぎのところに指が4本入るようになってしまった。たった2週間でこんなに細くなるのか。手術の翌日にギプスに窓を開けて、1回消毒されたっきり、蓋されたままになっているが、傷口はどうなっているのか。いよいよ明日は抜糸だ。痛くないか少々心配ではあるが。

20日目

午前中リハビリ、午後から抜糸。糸をひっぱられるので、ちょっと痛いなというくらい。4~5箇所、糸を切られらたようだ。あとで看護師が来て、「16日か17日かどちらか都合いい方で退院してもいいよ。」と言われたので、迎えの確認をし、16日(木)の午前中でお願いする。合わせて退院証明書を依頼しておく。ようやく目処がたった。明日新しいギプスがついてから、歩行の確認後に職場には連絡しておこう。なんせ職場では、階段で3階まで昇り降りしないといけないので、足がどんな状態になっているか、若干心配だ。退院決まったお祝いに売店に行ってポテチとコーヒーを買って、007の「No time To die」を観ながら食べる。残り少ないバケーションを少しでも満喫しなければ。

21日目

朝食後、婦長さんが病室に来て、例のドリルでギプスを切断する。ギプスの両サイドを切断し、前後に外す算段のようだ。今回は、目の前で切断されるためよく見える。音に加え、視覚がつくと恐怖度は100倍だ。歯は鋼で、皮膚だけ大丈夫などとは思えない。持ち上げながらカットしているし、少し痛い場所があった。ギプスの下に厚めに巻いてあるクッション材のおかげで、「皮膚まで簡単には届かないよ」ということではないかと思う。前後に切断されたギプスの前側に左右のくるぶしが両方とも入っている。よって、後ろ側のギプスは簡単に外れたが、前側のギプスはくるぶしが邪魔をしてなかなか外れない。男の婦長さんは、それを力づくで外そうとする。かなり痛い。ようやく無理と気づきくるぶしが当たるところを左右少しずつカットする。どうせ切るならもっと大胆にカットしてくれればいいのに。案の定、それでもまだ外れない。ムキになった婦長さんは、更に力づくでギプスを広げようとする。そして引っ張る。なんとギプスの一番狭いところに、アキレス腱が挟まった。流石にこれは呻いてしまったが、婦長さんはさらに力を加え、ギプスは外れた。ギプスが広がったというより、僕の足が凹まされて外れたんだと思う。久しぶりに解放され、タライで洗ってもらった足は、かなり細くなっていた。とてもおじいさんぽっい。そのあとで詰所に連れて行かれ、ストレッチに座らされたが、9人ほどの看護師に取り囲まれる。こんなに看護師いたんだ。このあと院長がギプスを巻くだけなのにそんなに珍しいのか。上野のパンダの心境だ。昔、耳鼻咽喉科で担当医が、「これが鼻中隔湾曲症だ。」と言ってそばに並んでいる6人のインターンに順番に鼻の中を見せられた時のことを思い出した。院長は結構強めにギプスを巻き、ギプスが固まる前に、さらにアキレス腱あたりを左右から押して密着度を増した。かなり窮屈だが、再断裂を防ぐためというので仕方ない。これで50%の荷重がオッケーになるようだ。明日の退院が確定した。あとは、午後からのリハビリでどれくらい動けるかを確かめて、職場に連絡するか。午後からリハビリで松葉杖を使った歩行練習。左足の裏にゴムの板が取り付けてあるので、結構歩きにくい。ちょうど真ん中あたりについているので、なんのためのゴム板なのかよくわからないが。膝を曲げていないと歩けないので、膝を曲げたままにしておくためか。膝を伸ばすとアキレス腱が伸びるらしいので、きっとそうだと思われる。歩くときに足にカバーをできないので、逆にベッドで汚れないようにカバーが必要になった。階段の昇降は結構きついが仕方ないな。次の診察は7月1日に決まる。かなり日数が開くが、そのときにはギプスが外れ、装具になる予定だ。今晩一晩、最後の夜だ。なんの映画を観るかな。

22日目 退院、そしてその後

午前中、保護者の妻に迎えに来てもらい無事退院。家で少し休憩し、妻に買っておいてもらったお礼の菓子箱を携えて、午後から仕事に出かける。松葉杖で荷物を持てないので、ショルダーバッグを背負っていく。さすがに階段の昇降はきつく、足はむくみ痛みが出てくる。仕方なく、そのまま仕事を続けていると徐々に痛みにも慣れてくるものだ。

担当の院長はかなり忙しく、退院後2週間を超えて、やっと初の診察を受ける。この日、ギプスを外してもらい、いきなり何もなしになった。装具をつけるのだと思っていたが、ギプスを外して、「じゃあ、いいですよ。」となった。リハビリで少し歩く練習をしたが、何も守ってくれるものがないというのは恐ろしい。まるで、助さん角さんを失った水戸黄門のようだ。さすがに松葉杖のうっかり八兵衛だけでは心許ない。しかも、足首はガチガチでアキレス腱のあたりはかなり硬くなっている。そして全体に浮腫んでいる。少し歩くとかなり痛みが出てくる。これはきつい。ヘッドギアなしでボクシングしているみたいなものでかなり怖い。万一、滑ったり、つまづいたり、踏み外したり、後ろから自転車にぶつかられたりすると再断裂するのではないか。そして痛みも結構ある。周りからは、再断裂した人の話を散々聞かされる。治りかけで調子こいて酒を飲んで滑って再断裂した先輩は、「いやー、再断裂は痛かったなぁ。繋いだところを引きちぎられるんだからなぁ。」としみじみと語ってくれる。

2週間ほど痛みに耐えながら、アキレス腱をもみほぐし、足首のむくみをとりながら、日々ストレッチと歩く練習をする。左足に荷重をかけられるようになると、松葉杖なしでも歩けるようになり、松葉杖が邪魔になってきた。荷物は持てないし、早く手放したいと思い、退院後2回目の通院で担当医に「松葉杖返してもいいですか?」と聞くと「歩けるならいいよ。」と言っていただき、早速その日に松葉杖を返却。病院からの帰りは、気をつけて、一歩ずつ踏みしめながらゆっくり歩いた。そして後悔した。少し歩くと痛みがどんどんひどくなってきたが、荷重を左足から逃すことができない。松葉杖返さなければよかった。

外の世界は危険に溢れている。道にはそこらじゅうに段差があり、地面から目が離せない。そのうえ、スマホを見ながら歩いてくる人や話をしながら並んで歩いて前を見ていない高校生を避けなければならない。歩道を後ろからすっ飛ばしてくる自転車もある。そして、身を守ってくれる青信号は異常に短い。たった数百メートルの帰路は、ガンバに負けない大冒険だった。

街中を足を引きずりノロノロ歩くさまは、さながらウォーキングデッドのウォーカーのようだ。これからは、リックやダリルに頭を撃ち抜かれないよう充分に気をつけながら、歩行訓練していかなければならない。