2010.Jan
今回の旅のルートは、日本からクアラルンプールで途中降機し、シェムリアップへ。シェムリアップからプノンペン、そしてホーチミンまで陸路バス移動し、飛行機でクアラルンプールに戻ってくる15日間の旅。
念願のアンコール・ワットの観光とホーチミンでの買い物、そしてクアラルンプールのコンドミニアムの物色。
1日目
降雪のため新千歳空港で飛行機の大幅な遅れ。除雪が間に合わないため、羽田からの飛行機の到着めどが立たないらしい。
最悪を考えJRを利用して東京までの行程を確認する。
22:41 南千歳発で翌朝5:39 青森着。「特急つがる2号」に乗り換え、6:48 八戸。
八戸から東北新幹線に乗り9:51 東京へ。予算は約23,000円とのこと。
とりあえずラウンジにて様子見。搭乗カウンターに行ってみると、とりあえず飛行機は到着し、天候によっては戻ってくるという条件付きではあるが、飛びそうである。予定より2時間遅れの19:30に機内に乗り込み、雪下ろしのため機内で45分缶詰。まあ、遅くなったけれど、とにかく飛行機は飛び、夜遅くに無事羽田に着くことができた。23:00東京の実家に到着。
2日目
実家でゆっくり過ごす。
成田エキスプレスのチケットを予約。成田エキスプレスは全席指定。
AMEXで、Mobile SUICAを1万円分使うとマイルがたまるキャンペーン中のため運賃は、当日Mobile SUICAで支払うことにする。
本屋で村上春樹の「子どもたちはみな踊る」とiPhoneの解説書を購入し、Mac bookでBBネットに繋いでみる。無事にメールチェックできたが、速度はやはり遅い。せっかく購入したiPhone 3GS なので、少しでも使えればいいのだが。一応、旅の準備は整った。
3日目
5:30 に起き、6:00 に実家を出発。鞄はいつもの3Wayサムソナイト。リュックにもショルダーにもキャスターを付けて転がすこともできるすぐれものだ。今回は機動性を重視し、ショルダー掛けにし、付属の小さいリュックを貴重品入れとして使用。
昨年末に買ったトラベラーズノートの使い勝手を確かめるのが楽しみだ。
レギュラーサイズの黒革のトラベラーズノートは、経年変化が楽しめる。A5スリムサイズのノートは使いやすく、チケット類を入れるのにもちょうどよい。
成田空港に8:00 頃到着。早速搭乗手続きをするが、Eチケットの番号違いがあったらしく、少々時間を費やすが、無事手続き終了。燃油サーチャージで14430円かかってしまう。
Duty Freeショップで妻に頼まれていた化粧品を購入し、マレーシア航空MH89便にて、10:30 日本を飛び立つ。機内は狭く、席も満席状態。機内で織田裕二の「アマルフィ」を鑑賞し、旅の今後にワクワクする。
久々のKL(クアラルンプール)。入国後にマレーシア航空のオフィスに行き、今晩中に明日のフライトのチェックインができるか確認するが、無理とのこと。
ただし、基本的には12時間前にはチェックインできると言う話だったので、チェックインカウンターに様子を見に行く。試しにオートチェックイン機でチェックインしてみるが、時間がまだ早いためできず。
係員に再度確認すると、荷物がないなら、カウンターに人がいれば今晩23:00くらいから、チェックインできるかもしれないとのこと。
少々の期待を抱き、まずはKLセントラル駅へ。
KLIAエキスプレスはずいぶん立派で快適。30分位で着いてしまった。値段は少々高めでRM35。駅構内を眺めながら、KTMに乗り、見てみたかったメガモールへ。ずいぶん近代化されており、名前の通りだだっ広い。
夕食を食べ、ぐるっと回った後にホテル探しにKL駅に行くが、21:00になっており、暗くてとても探せそうになかった。やむを得ず空港に引き返し、空港で過ごすことにする。
チェックインカウンターに人がいたので、なんとか頼み込み、搭乗手続きを終え、中に入ることができた。
念願のプライオリティパスを使用し、ラウンジへ。寝るには少しきついが、ゆったりした椅子と軽食や飲み物、インターネットの環境があり必要充分。
4日目
ラウンジで夜を明かす。ぐっすりとは眠ることができなかったが、仮眠はとれた。ラウンジで簡単な朝食をとり、搭乗ゲートの待合室で「地球の歩き方」を見ながら時間をつぶす。2日半でアンコール・ワットの遺跡を見て回るのは少々きつそうだ。
飛行機は、1時間ほど遅れて出発。ゲートを通過し、飛行機に乗り込むためにまっていると、ほとんどの人が入国カードに記載し始めた。どうやら自分だけ入国カードをもらい損なったようだ(係官が渡し忘れたようだった)。慌ててもらいにいき、入国カードに必要事項を記載。
飛行時間は時差があり、ランチ付きで実質2時間。空港は小さく、飛行機から降りてから歩いて建物に移動し、入国審査を受ける。空港でホーチミンからの飛行機のリコンファームをしようと、マレーシア航空のオフィスに行くが、ランチ中のようで不在。このあたりは東南アジアらしい。
やむを得ず空港でバイクを頼みホテルに移動。ホテルの受付の女の子は片言で日本語を話すことができ、この後の観光スケジュールを相談する。
少し時間は要したが、概ね固まり、ホテルのトゥクトゥクでアンコール・ワットの遺跡観光チケット(3日で$45)を買いに連れて行ってもらい、そのままプノンバケに夕日鑑賞に出かける。夕方だったので、本日分はFreeとのこと。
プノンバケの登山口には、たくさんのトゥクトゥクが止まっており、帰りに自分のドライバーを見つけられるのか少々不安になる。肝心の夕日は、沈む寸前で雲が出て隠れてしまった。少々残念。
帰りにオールドマーケットで降ろしてもらい散策後、夕食を食べ、歩いて帰る。思っていたよりも距離があり、途中かなり暗いところやいかがわしい店もあり若干おっかなかった。とにかく疲れた。部屋に戻りシャワーを浴び、明日のために睡眠。
5日目
4:30にiPhoneのタイマーをセットし朝に臨んだが、なぜか0:30に起きてしまい、時間を間違って洗顔やトイレを済ませるなどの準備をしたが、時計を見てもう一度睡眠。
5:00出発でアンコール・ワットへ。$1のコーヒーを頼めば、用意されている席に座れるのだが、朝日がどこから昇るかわからないので、とりあえずあちこち動きながら写真を撮る。日の出の時間を聞くと7:30だと言われたが、6:00前から明るくなり始め、太陽が顔を出したのは6:30頃だった。人が多く、思ったより感動はなかったが、アンコール・ワットのシルエットが浮かび上がり、幻想的だった。
ホテルに戻りプールサイドでパン・卵・ベーコン・デザートの朝食。
再びトゥクトゥクで1時間半、シェムリアップ郊外のバンテアイ・スレイへ。
トゥクトゥクは直接日があたらず、ゆっくり座っていられるのでけっこう楽だ。周りの景色もよく見える。道路脇でものを売っている屋台、ハンモックで寝ている人、バンにギュウギュウ詰めで乗り込む人々、草を食べる牛や水牛、駆け回る鶏、怠惰に寝そべる犬、トゥクトゥクから、遺跡とは違うカンボジアの原風景を見ることができた。
バンテアイ・スレイは赤土が敷き詰められ、東洋のモナリザと言われるレリーフで有名な遺跡だ。
バンテアイ・スレイをあとにし、バンテアイ・クディ、タッ・プローム、アンコール・トム、アンコール・ワットとまわるアンコール・ワット小回りコースを観光。
バンテアイ・クディのあとレストランで昼食。チキン・ウィズ・ジンジャーと書かれたメニューを注文するが、なんと山盛りのショウガの千切り炒めに少々のチキンが入っていた。とにかく辛い。さすがに全部食べきれなかった。
写真を撮りながら歩き回り、とにかくへとへと。18時にホテルに戻り、夕食に行く力も残っていなかったので、ホテルでFreeで出しているおにぎりをもらって済ます。時間もなくなりアンコール・トムではバイヨンしか見ることができなかったため、明日の予定を変更し、再度アンコール・トムにいくことにする。
アンコール・ワット、アンコール・トムの遺跡はすごい。これがジャングルの中でひっそりと眠っているところを想像するだけでワクワクしてしまう。ただ、やむを得ないこととはいえ、人が増え、観光化されてしまっているのは少々残念だ。40年ほど前に、親父が行った頃はどんな風景だったのだろう?などと考えながら眠りについた。
6日目
8時出発で、片道2時間ほどかけて郊外のベンメリアに向かった。ガイドブックには山道を通って遺跡に向かうため、山賊の襲撃や地雷の危険があり、現地に精通したガイドと同行するようにかかれていたが、ホテルの受付の子の話では、全く大丈夫とのこと。それを信じての観光だが、気の抜けない道中だった。
昨日の道路と特に変わりなく、カンボジアののどかな風景が続く。ガソリンを並べているところ、竹筒に入れた食べ物を売っているところなど、その場その場で数軒続いて同じものが売られている。
ベンメリアは発見された状態を少しでも残すため、極力修復をしていない状態で保存されている。入口付近で制服のようなものを着た人達に、地図を見せて現在地を確認すると、一人の男性が遺跡内を案内してくれた。崩れた石の上を昇り、崩れかけた門をくぐり、隙間をぬってあちこち説明しながら回ってくれた。どうやらガイドのために常駐していた人々のようだ。お礼にチップ$2を渡す。
観光客も少なく静かで、自然の中に残された遺跡で、心に安らぎを与えてくれる。何時間でもそこに座っていたいような不思議な場所だった。地元の子供たちが遊んでいたり、ガイドもどきの子供たちが、あちこちで観光客に話しかけ、ガイド料をせびったりしていた。
アンコール・ワット遺跡群の中で、個人的にはNo.1だ。
もっとゆっくりしていたくらいであったが、この後の予定もあるため、後ろ髪を引かれながらベンメリアを後にし、入口の外にある店で、ホテルで作ってもらった弁当を、トゥクトゥクのドライバーと一緒に食べ、アンコール・トムに向かう。
アンコール・トムは壮大な遺跡であるが、ベンメリアに比べきれいに修復が入っている分、少し味気ない。ガイドブックを見ながらレリーフを見て歩く。夕方からオールドマーケットで土産探し。コショウやスカーフなどを購入。
夕食にカンボジア鍋を注文するが、いまひとつ作り方がわからなかったので、店の子に作ってもらった。暑いところで熱い鍋もなかなかおつなものだ。事前に予約していたホテルのステイも今日で最後。明日以降は、宿を探さなければ。
7日目
7時にホテルでピックアップしてもらい、メコンバス乗り場へ。
時間どおり7:30にプノンペンに向け出発。座席は満席で外国人旅行者は5分の1程度。豪華と言うほどでもないが、トイレ付きで出発後にミネラルウォーターやケーキ、おしぼりが出された。隣は商用で移動中のサラリーマンのようだった。
2時間ほど走った後、コンポントムという町で30分の休憩。とりあえずレストランに入りコーヒーを飲むが、いつもの濃いコーヒーにたっぷりのコンデンスミルク、やや胸焼けがする。
バスの前の屋台では果物や食用の昆虫が売っていた。イナゴの佃煮のようなものはまだわかるが、タランチュラやどう見てもゴキブリのような虫も売っていた。そばでこどもが虫をポリポリ食べていた。
13:30頃プノンペンに到着。とても賑やかな街だ。荷物を受け取り、早速明日のベトナム行きのバスのリコンファームを済ませ、乗り場を確認し、近くのケンタッキーで休みながらガイドブックで宿を検討。そばにWi-Fiのスポットがあること、マレーシア航空のオフィスが近いことからASIAホテルに決め、バイクで移動。
チェックインを済ませ、リコンファームのためにマレーシア航空のオフィスに行くが、ない。どうやら移転しているようで、ホテルで聞いても新しい場所が定かではない。とりあえずあっちの方、という方向に歩き始め、人に聞くがわからず。仕方なくそのままセントラルマーケット界隈を散歩。
この街の賑やかさは、きっとアジアでもトップクラスだろう。ASIAホテルのそばの少々いいホテルのドアボーイにマレーシア航空のオフィスの場所を聞き、バイクで向う。オフィスはややわかりにくいところだったが、無事リコンファームを済ませることができた。半年ほど前にマーケットに近いこの場所に移転したとのこと。
歩いてホテルに帰りがてら、街を散策。メコンバス乗り場をチェックし、バックパッカーの伝説の宿として有名なキャピタルというゲストハウスを見に行く。
プノンペンはKLの20年前、ホーチミンの10年前のような感じなのだろうか。ただし、Wi-Fi環境はけっこう整っていて、ホテルそばのカフェでiPhoneがメール送信などで活躍。
8日目
ホテル近くのWi-Fiが使えるカフェで、朝食がてらiPhoneでインターネットとメール連絡。
そのあと、クイティオを食べセントラルマーケットで買い物。見て回ると品揃えはほぼベトナムと同じで、少し値段が安めかもしれない。
カンボジアRielがけっこう残っているので土産を探すが、ベルトやリュック、パンツに靴下など自分のものをかなり買った。土産にはパンツとTシャツ2枚購入。
国立博物館には、たくさんのレリーフや彫刻が納められており、回れなかった遺跡をもっと回りたくなった。博物館から王宮へ歩いて向かっていると、トゥクトゥクの兄ちゃんが声をかけてきた。今王宮は昼休みで入れないので、キリングフィールドへ行かないかと誘ってきた。
キリングフィールドは、かなり生々しそうなので、変なものが付いたら嫌なのでやめておこうと思っていた。しかし、これも何かの縁かと思い、キリングフィールドに向かうことにする。
塔に納められた無数の頭蓋骨、こどもが頭を打ち付けられて殺されたという大木、あちこちに半分地面に埋もれ、ぼろぼろになった衣類が落ちており背中が寒くなった。きちんと手を合わせ、祈ってきた。
帰り道、POSに寄ってもらい家族に向けた恒例の絵はがきを出す。新しい街に着けば、一人旅でも家族旅行でも家族に宛てて絵はがきを書くことにしている。自分よりも遅れて絵はがきが届くのだが、旅を思い出されてなかなかいいものだ。
声をかけてくれたトゥクトゥクの兄ちゃんが日本びいきで、日本のおかげで橋ができた、井戸が付いたと喜び、日本はすばらしいと語っていた。彼に市内の名所を回ってもらった。
ワットプノンは由緒ある寺で、周りを象に乗って回れると聞き、行ってみたがこれが笑えた。塔のてっぺんに鎮座していた仏様の背中からカラフルな電球が光っており、そのそばに置かれた商売の神様のような仏様は、眼鏡をかけ関西のおばちゃんのような顔をしていた。
カンボジアってこんなものなのかと思い王宮に行くと、ここは素晴らしい。エメラルドの仏陀、ダイヤモンドをちりばめた仏像、シルバーが敷き詰められた床、撮影禁止のため写真を撮れなかったのが残念だった。
観光後、マーケットに向かう。ここはさすがにアジアらしい。普通のマーケットの中は偽物の集まりだった。オークリーのサングラスがけっこう安いので本物かどうか聞いてみると、「本物だ」と答え、本当にそうかと問いただすと「カンボジアナンバー1の偽物だと開き直った。」靴屋にエアジョーダンⅢが$25で売っていた。つい買ってしまった。
9日目
8:30発の国際バスでプノンペンからホーチミンに入る。12時頃国境を越える。小さなレストランで40分ほど待たされたが特に問題なく、簡単に国境越え。イミグレでバスのガイドが順次名前を呼び入国。イミグレの先で現地の人がゆでとうきびを買っているのを見て、思わず1本だけ購入。食感はもちもちとしており、味はいまいち。
バスの到着場所は、前回のベトナム旅行で宿泊したリバティ3の近くだった。荷物も重いので近場のLAN ANHホテルで部屋を見せてもらい、1泊朝食付きで$16で決める。部屋の中でWi-Fiも使えてラッキーだった。
荷物を置いて早速グランドホテル近くの店にいく。前回の旅行時にノースフェースのスキーウェアを安くで購入した店だ。今回は息子のスキー用のジャケットを買いに出かける。まず1万円を2,040,000ドンに両替。1万ドンで50円弱といったところか。息子のウェアは450,000ドン(2200円)、妻に頼まれていた義兄用のジャケットを弟の分と2着購入。合わせて1,050,000ドン(5200円)、兄貴への土産としてレインジャケット250,000ドン(1250円)すべてノースフェース。偽物じゃないかなという気がするが、生地も縫製も問題なく、なかなかの出来栄え。値段が安いため欲しいものがたくさん出てくる。自分用にノースフェースのグリーンのダウンジャケットを購入しようかずいぶん迷うが、とりあえずやめる。
ナイトマーケットを散策し、屋台で夕食。一人で来ていたオーストラリアの紳士的なおじさんと話をしながらの夕食となった。夕食後、マーケットで息子用にバーバリーのポロシャツを80,000ドン(400円)で購入。ホテルの部屋の戻りWi-Fiが大活躍。家にメールし息子のスキーパンツを購入するか確認し、明日もう一度買いに行くことにする。
ホテル近くの店で、娘の土産にショルダーバッグを購入。やはり、ホーチミンは買い物天国だ。
10日目
ホテルのロビーでバケットにコーヒー、バナナという簡単な朝食をとり、散歩がてらベンタイン市場にショッピングに出かける。息子用にポロのボタンダウンシャツを探すがいいものが見つからず、代わりにポロのYシャツを購入。2枚で700,000d(3500円)と他の衣料品に比べかなり高く、ぼられたような気がして何となく気分が悪い。グランドホテル近くの店で息子のスキーパンツ500,000d、自分用にダウンジャケット550,000d、iPhoneカバー110,000dなどを買い、フォー24で遅い昼食をとる。
おみやげにこまごまとしたお菓子や蹴まりのようにして遊ぶ羽を購入。鞄がパンパンで背負うには少々つらそうなので思い切って$40で大きめのサムソナイトのキャリーバッグを購入。まあ、4000円程度なので、最悪帰ってから売ってもいいか。
ミルクフルーツ、オレンジ、マンゴと果物ナイフを買いホテルで食すが、ミルクフルーツの汁が口の周りに付くとなかなかとれず大変だった。
夕食はナイトマーケットの屋台で食べる。ニュージーランドの青年と話をする。社会人になる前に旅行をしているようで、5月には日本にも来ると言うことでメールアドレスの交換をする。
11日目
朝食を済ませ、チェックアウトし、ホテルでタクシーを頼む。宿泊費+タクシー代で$40。空港まで渋滞がひどく1時間以上費やす。相変わらずホーチミンの渋滞はひどい。
チェックインを済ませ出国。また、水とソーダを没収された。タンソンニャット空港のオーキッドラウンジでプライオリティパスが使え軽食を取りくつろぐことができた。ラッキー!
マレーシアまで1時間半程度、まずは宿探し、チャイナタウン界隈で安宿を何軒か見せてもらう。3軒目でとりあえず、本日の宿を決める。エアコン付き、トイレシャワー共同で45RM(1260円)。ホテルのランクがどんどん落ちてゆき、少々悲しい気分になる。
最終日くらい少しいい宿を取ろうか。ベトナムより少し物価が高く感じる。ショッピングもベトナムほど魅力を感じなくなった。とりあえずシャワーとトイレのために使い捨ての安いビーチサンダルを4.9RMで購入。なかなか履き心地がよく持って帰ろうかと悩んでしまった。
12日目
朝から不動産を見にKLセントラルへ。周りをずいぶん歩いたのち、ディティアラを見つける。オフィスのオープンまで30分あるというので、もう少し周りの様子を散策。確かにあちこち開発されてきているが、まだマレーシアっぽい。
モデルルームを見せてもらいオフィスの女性から話を聞く。日本にも短期留学していたらしく、日本語は話せないが、色々熱心に話を聞かせてくれた。
次のマンハビタットを見るためにモノレールでインビまで行き、地球の歩き方に載っていた店で肉骨茶を食べるが、いまいちかな。ブキッビンタンはとてもきれいでおしゃれになっていた。windowsXP 64bit、Mac oftficeのパイレーツVer.を購入。
スタバでメールチェックするとマレーシアで不動産を扱っている日系のトロピカルリゾートという会社からメールが入っており、本日のためにスタンバイしていたとのこと。ホテル日航まで歩き、公衆電話を使って連絡を取る。とりあえず連絡が行き違ったことを詫び、日本に帰国後連絡するように伝える。
マンハビタットほぼ完成しており、中はまだ工事中で見せてもらえなかったが、外観はかなり素晴らしかった。KL中心部の発展はすごい。たくさんあるメガモールには人がたくさんいる。今日はKL中、歩き倒した感じだ。
13日目
前日、歩き疲れ、最後の1泊は休めるようにiPhoneを使いネットで、モール近くの3つ星ホテルを予約。10時頃荷物を引きずって新しいホテルに移動するが、部屋に入れず荷物を預け、むかしよく利用させてもらった懐かしのモールに出かける。こぎれいにはなっているが、人がとても少ない。昼過ぎになりようやく人が増え始める。
5000円分リンギッに両替し土産用にマレーシアの紅茶ボーティーを買い、よく利用していたマックで朝食。インド映画のDVDを良さそうなのを見繕い、1本購入。まだ、インド映画「Dil to pagal hai」 や 「ISHQ」 のDVDが置いてあった。やはり名作だったんだと実感。
2時になりシトラスホテルにチェックイン。ホテルらしいホテル。少し贅沢だが、135RMだからまあいいだろう。
少し休んでからチャイナタウンに出かけ、工具が無くて直せなかったベルトを屋台で頼んで直してもらう。無くしたショルダーストラップを屋台の鞄屋で無理を言ってストラップのみ売ってもらう。なかなかいいのが見つかって良かった。
チャイナタウンで豆腐花やパンミーを食べ、帰りにポロシャツを2枚購入。ポロのビッグマーク25RMと黒のポールスミス21RM。2枚ともなかなか良かった。ホテルに戻りくつろいだあと土産や荷物の整理をする。ベトナムでダウンジャケットを新調したので、着てきた愛着のあるダウンを泣く泣く手放す。
14日目
12時チェックアウトのため、荷物の整理やプールサイドで「神の子はみな踊る」を読み、昼までゆっくり過ごす。そういえばマレーシアの本屋に1Q84始め、村上春樹の本が中国語に訳され、たくさん積んであった。
昼から荷物をホテルに預け、ブキッビンタンへ。10年前に入ろうと思いながら一度も行けなかった中華の店で昼食を食べる。
土産用にマフラーを3枚購入し、ブキッビンタンの交差点にあるフレッシュジュースの店でスイカジュースを飲みながら記帳。ジュースが高い、これじゃ日本と変わらない。
ホテルに荷物を取りに行き、チョウキットからモノレールでKLセントラルへ。17:50頃KLセントラルのバスターミナルに着くと18:00発のKLIA行きのバスがあったので、早速それに飛び乗る。1時間15分で到着。チェックインを済ませ頼まれていた、シェルチョコを購入。3 buy FREE1で鞄まで着いてきた。けっこうかさばる。ラウンジでくつろぎ、後はフライトを待つのみ。職場の土産はどうしようか?
15日目
朝7:00ころ成田着。お土産がたくさんあり、少々心配ではあったが、無事税関を通過。少し時間がありそうだったので、実家による。
羽田の検査後にAMEXで入れるラウンジ有り。ソフトドリンクだけだがこぎれいで人も少なく快適だった。